待ち望む期間
11月28日の日曜日から、教会はアドベントという期間に入りました。
毎年、クリスマスの1ヶ月前の日曜日から、クリスマスの前日、12月24日までがアドベントで、この期間はイエス様の誕生を待ち望む時です。
私たちにとって、何かを待ち望む期間というのは、心がワクワクする瞬間です。
旅行に行く予定があるとしたら、その計画を立てながら、当日を楽しみに待ちます。
子供が生まれてくる予定があるとしたら、お腹の子供と対面できる日を楽しみに待ちます。
今日の本文には、イエス様の誕生に先駆けて、洗礼者ヨハネという人物が誕生したことについて書かれていますが、この二人の誕生には、少し複雑な経緯があります。
ヨハネの父ザカリア、母エリサベトはすでに年老いており、しかもエリサベトは不妊の女性でした。
もう子供が生まれる希望がなくなっていた時に、突然、ザカリアの前に天使が現れて「あなたの妻は男の子を産む」と告げられたのです。
この言葉を聞いた時、ザカリアは「私は老人ですし、妻も年を取っています」と言って、天使の言葉に否定的な反応をしました。
その結果、なんとザカリアは神様から口を閉ざされてしまい、一切喋ることができなくなってしまいました。
その後、天使が告げた通り、エリサベトは身ごもり、男の子を産むことになりましたが、再びザカリアが話すことができるようになったのは、子供が誕生した時でした。
つまり、ザカリアは子供が生まれるまでのおよそ10ヶ月もの間、口を閉ざされてしまったのです。
なぜ神様はザカリアの口を閉ざすようなことをされたのでしょうか?
ザカリアの不信仰に対する罰として与えられたものだったのでしょうか?
10ヶ月の沈黙を経て…
この不可思議な出来事について理解するためには、それから10ヶ月後に起こったこと、つまり、ヨハネが誕生した場面を見てみる必要があります。
ザカリアとエリサべトの二人は、生まれてきた男の子に割礼を施す時になった時、その子に天使から告げられていた通りの名前であるヨハネという名前をつけました。
そうすると、ザカリアの口が開け、およそ10ヶ月ぶりに話すことができるようになりました。
ザカリアは久しぶりに話すことができるようになりましたが、その時にザカリアの口から初めに出てきた言葉は何だったでしょうか?
64節に「たちまちザカリアは口を開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。」とあるように、10ヶ月の沈黙を経て、ザカリアの口から出てきたのは、神様を賛美する言葉でした。
沈黙の意味
もし、ザカリアが喋れなくなったことを神様の罰として受け止めていたら、一番初めに何と言っていたでしょうか?
おそらく「よくもこんな目にあわせてくれたな!」と、神様のことを罵っていたのではないでしょうか?
しかし、10ヶ月もの長い間、一切口が利けなかったにもかかわらず、ザカリアが発した言葉は神様への賛美だったのです。
沈黙の10ヶ月がザカリアにもたらしたものは、神様を賛美する心でした。
初めに天使の言葉を聞いた時、ザカリアは神様の言葉とその計画を疑っていましたが、沈黙の10ヶ月を通して、神様を賛美する者へと変えられていったのです。
「時が来れば実現する神様の言葉」を信じられなかったザカリアは「時が来れば神様の言葉は実現する」とことを身をもって体験し、神様を賛美する者となりました。
ザカリアの場合は、神様によって物理的に口が利けなくなるという特別な体験をしましたが、私たちにも、思いがけない出来事によって、沈黙させられる時があります。
そういう時に、こう考えたくなるかもしれません。
「こんなことになったのは、自分の不信仰のせいではないか」
「これはきっと神様からの罰だ。罰せられないようにもっとしっかりしなきゃ。」
しかし、聖書が伝えている神様は、私たちの不信仰によって罰を与えるような神様ではなく、どれだけ足りなく、失敗を繰り返したとしても、私たちの弱さを理解してくださる神様です。
そして、私たちが立ち上がることができるように助けてくださる神様です。
私たちが沈黙し、何も言葉を発せられないほどに葛藤して悩んでいる期間でさえも、神様は私たちと共にいてくださり、私たちに寄り添ってくださるお方です。