牧師ブログ

「神が建てる住まい」

For God(神のために)

イスラエルの二代目の王として任命されたダビデは、イスラエルが神中心の国になることを願い、いくつかの事業を行った。
首都をエルサレムに定め、そこに王宮を築いた。
そして、エルサレムに神の臨在を象徴する神の箱を運び入れた。

ただ、神の箱を運び入れたあと、ダビデには一つ気がかりなことがあった。
それは、神の箱の取り扱いについてである。

この時ダビデ自身は、エルサレムに建てられた王宮に住んでいた。
ダビデの王宮にはレバノン杉という木材が使われていたが、これは当時のイスラエルでは最高級品だった。

その一方、ダビデがエルサレムに運び入れた神の箱は、幕屋の中に置かれていた。
幕屋というのは神様を礼拝する場所だが、これはもともと移動可能なテントとして作られていたため、建物の覆いには布が使われていた。

こういう状況を見ながら、ダビデは自分はレバノン杉で作られた立派な家に住んでいるのに、神の箱が質素な幕屋の中に置かれていることに申し訳なさを感じた。
それでダビデは、エルサレムに神の箱を安置する神殿を建てようと計画した。

このダビデの発案に対して、神様はダビデの顧問として仕えていた預言者ナタンに対して
「あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか」
「なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか」
と告げられた。
つまり、神様はダビデが神殿を建てることを反対した。

実はこの箇所は、神様が神殿を建てること自体を否定したわけではなく、それをダビデが行うことを否定している言葉である。
「神殿を建てるというが、それをダビデ、あなたがやるのか?」というように。

ダビデは「神様のために」神の箱をエルサレムに運び、「神様のために」神殿を建てようとした。
神様が神殿建築にストップをかけたということは「神様のために」行うダビデをストップさせたということである。

なぜ神様はダビデが神殿を建築することを許さなかったのか?

With God(神と共に)

ダビデの神殿建築構想は、ダビデの子供、ソロモンの時代に実際に実現することになった。
神の箱が神殿の中に運ばれた時、ソロモンはこのように祈っている。

神は果たして地上にお住まいになるのでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。(列王記上8:27)

ソロモンが言うように、神様は天に閉じこもっているわけでも、反対に地上に建てられた神殿に住むわけではない。
この世界全体が、神様の住まいである。
これが意味しているのは、神様の関心は「どこむ住むか」ではなく、この世界と共にあることである。
つまり、神様の関心はこの世界とそこに住む私たち自身に向けられているのである。

旧約聖書のイザヤ書の中で、来るべき救い主について「インマヌエル」と呼ばれると預言されている。
インマヌエルという言葉は「神は我々と共におられる」という意味である。
まさにキリストの誕生は、神が私たち一人一人と共におられることを明らかにする出来事である。

ダビデは「神様のために」という良い動機をもって神殿を建てることを願った。
しかし、神様はダビデがご自身のために何かをしてくれることよりも、単純にダビデと共にいることを願ったのである。
神様の関心は「ダビデが自分のために何をしてくれるのか」ではなく、ダビデ自身に向けられていた。

そうだとすれば、私たちが願うべきことは「神様のために」ということ以上に「神様と共に」ということである。
これはもちろん、神様のためにという思いを否定しているわけではなく、神様のために何かを捧げるとしたら、必ず「神様と共に」という信仰が土台になっているべきである。

パウロは改心する前、「神様のために」という良い動機でクリスチャンを迫害していた。
そんなパウロに神様はストップをかけ「神様と共に」生きる者へと変えてくださった。

For me(私のために)

ダビデは、神様のために家を建てることを計画したが、むしろ、神様の方がダビデのために家を建てる計画を持っていことを明らかにされた。

主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す(サムエル記下7:11)

ここで神様がダビデに約束された家とは何だったか?
すでにダビデはエルサレムの王宮に住んでいたので、住居という意味の家を与えるということではない。
神様がダビデのために建てようとした家とは、ダビデの子孫とその家系からなるダビデの王朝のことであり、ダビデの王国を意味する。
それはつまり「イスラエルは永遠に」という約束だった。

しかし、その後の歴史を見ると、ダビデの王国はダビデの孫の代になると南北に分裂を起こし、それから数百年後には、南北ともに外国に侵略され、滅亡するに至った。
永遠を約束されたイスラエル王国は、神様の約束とは裏腹に、滅んでしまったのである。

そうだとしたら、神様がダビデに約束した永遠の王国はどうなってしまったのか?
実はこの神様の約束は、イスラエルの滅亡からさらに数百年後に実現することになる。
その実現としてこの地に来られたのが、ダビデの子孫として生まれてきたキリストである。

神様はダビデの王国が永遠に続くと約束されたが、この約束は単にイスラエルが国家として滅びないということではなく、神様が共にいる神の国として永遠に立てられるという約束だった。

私たちに対する神様の計画は、キリストによって建てられる永遠の家である。

わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。(コリントの信徒への手紙二5:1)

私が神様のために何かを計画する前から、神様は私と共にいて、私のために永遠の家を建てる計画を立てておられた。
キリストによって建てられる家こそ、私たちの永遠の住まいである。