牧師ブログ

「暗闇の中に輝く光」

今年も「革命的非モテ同盟」により、クリスマス粉砕デモが行われた。
つい先日の日曜日にデモが決行されたが、彼らは「クリスマス粉砕!」「恋愛資本主義反対!」「リア充は爆発しろ!」「カップルは濃厚接触をやめろ!」というシュプレヒコールをあげながら、渋谷の街を練り歩いた。

彼らが主張するように、確かに日本のクリスマスというのは、あまりにもカップルというものが意識されすぎていて、本来のクリスマスとはだいぶかけ離れたものになっている。
クリスマスを楽しく迎える人がいる一方で、クリスマスの粉砕を目指す人たちがいるという事実は、クリスマスの中にも、光と闇が存在していることを表している。

実は、聖書が伝えているクリスマスの物語も、一面では、辛く悲しいこの世の現実を明らかにしている。

リアとヨセフを襲った悲劇

クリスマスとは、イエスキリストがこの世に誕生したことを喜び、祝う時だが、キリストの誕生シーンを見ると、そこには命の誕生を素直に喜べない世界が広がっていた。

キリストが生まれ出たユダヤは、当時、ローマという強国に支配されていた。
キリストの母であるマリアがまだお腹に子供を宿していた時、ローマ皇帝は、ローマの支配下にある全領土の住民に対して、住民登録をするようにとの命令を下した。

この住民登録は自分の町で行わなければならなかった。
そのためマリアは婚約者であるヨセフと共に、今いるナザレという町から100km以上も離れたベツレヘムに向かわなければならなかった。
妊娠中のマリアがそれだけの長距離を移動することは、お腹の中にいる子供の命に関わる大変危険なことだった。

ちょうどベツレヘムに滞在している時に、マリアは産気づいてしまった。
二人はすぐにお産のできる場所を探したが、その時は、住民登録をするために他の町からも多くの人がベツレヘムを訪れていたため、場所を見つけることができなかった。
それで結局、二人が辿り着いたところは、家畜小屋だった。
マリアは家畜小屋で初めての子供を生み、生まれてきた子供は、そこにあった飼い葉桶に寝かされた。

マリアとヨセフの二人は、出産という出来事の中で、辛く悲しい現実を突きつけられていた。
ローマという国家権力の前に、ただ服従しなければならない悔しさ、妊婦である自分のことを誰も理解してくれない苦しみ、家畜小屋で出産しなければならない不安、我が子を不衛生な飼い葉桶に寝かせてあげることしかできない悲しみ、こういったものをひしひしと感じていたことだろう。

まさにそこは、暗闇の世界だったのである。

この世界の暗闇の正体

それで、この二人を襲った暗闇は一体どこから来たものなのか?
暗さの正体は、人間の罪である。

特にユダヤ社会を覆っていた暗闇は、人間の罪が権力と結びついたことによってもたらされた。
その当時、ローマは破壊と殺戮によって支配を拡大しており、そんなローマに支配されたユダヤは、必然的に暗闇の世界になるしかなかった。

この世界の歴史を見てみれば、人間の権力が多くの暗闇を生み出してきたことがわかる。
現代においても、北朝鮮や香港などは、国家権力によって、暗闇の中に置かれている。
北朝鮮では、ひとたび国家に逆らえば、収容所送りにされるか、ひどい場合は公開処刑によって殺される。
香港では、独立を願う民主派の活動家が、逮捕される事件も起こっている。
そこは、国家権力の前に、正当な主張が通用しない暗闇の世界である。

この問題は、決して国家という大きな単位だけに限ったものではなく、職場や学校、家庭などでも同じことが起こっている。
上司が部下に対して、先生が生徒に対して、親が子供に対して、不当に権力を振りかざすならば、ハラスメントや暴力によって暗闇の世界が生まれる。

この世界の暗闇はすべて、神様を見失ってしまった人間が作り出している。
社会を暗くしているのは、自分さえ良ければそれでいいという誤った価値観に染まってしまった人間たちである。

暗闇を照らす光

しかし、クリスマスの物語の中心にあるのは、人間の罪ではない。
ローマ皇帝という権力者でもなければ、マリアとヨセフを襲った辛く悲しい現実でもない。
クリスマスが指し示しているのは、暗闇の世界に生まれてきたイエスキリストである。

父なる神様はイエスキリストを、2000年前のユダヤという暗闇の世界に送り込んだ。
キリストはローマという国家権力に虐げられているユダヤで、また、家畜小屋という薄暗く不衛生な場所で生まれてきた。
これが意味しているのは、神様は天高く私たちの手の届かないところに座しておられるのではなく、この世の暗闇の真っ只中に共にいてくださるということである。

光は暗闇の中で輝いている。(ヨハネによる福音書1:5)

神様は、暗闇の世界に「光あれ」と光を造り、この世界に秩序を与え、今の世界を作られた。
この世界は、人間の罪によって再び暗闇の中に置かれたが、神様は再び秩序を回復させるために、イエスキリストという光を送った。

この暗闇の世界に光として来られたキリストは、暗闇の中にあって輝く一筋の光である。
それはこの世界にいる人々を照らして、暗闇を作り出している人間を罪から救い出し、光の中を生きるためである。

マリアとヨセフが生きた時代も、真っ暗闇の世界だったが、キリストの誕生によってもはや彼らは、暗闇の中にはいなかった。
そこには、飼い葉桶に寝かされた光であるイエスキリストがいたのである。

クリスマスの知らせ(=キリストの誕生)は、この世界が暗闇のままに終わることがない希望のしるしである。
キリストによって人間が罪から救われ、神様と共に世界を築いていくのであれば、そこは暗闇から光の世界へと変えられていくのである。