2000年前にヘロデを取り巻く環境下で起こっていたことは、決してその時代、その場所特有の出来事ではありません。
また、社会のリーダーに限った問題でもありません。
それは、現代を生きる私たち一人一人の人生において、今まさに起こっていることなのです。
この世のあらゆる力-権力、暴力、財力、知力、顔面力など-によって自分の人生を支配し、自分の思い通りに人生を動かそうとするなら、それはヘロデがやっていたことと本質的に変わりがありません。
神様の代わりに自分が王となって、自分なりの世界を作ろうとする高慢さ、これこそ歴史を通して人間が犯し続けてきた最大の罪なのです。
そんな人間が築き上げてきた戦慄の世界に、神様はご自分のひとり子であるイエスキリストを遣わしてくれたのです。
神を否定し、神に敵対するこの世の中に、神様は自らの身を投じられたのです。
それは、この世界を創造し、それを統治している神様こそが真の王であるということを、場所や時代を超えて全ての人々に明らかにするためでした。
しかし、ヘロデにとってイエスが生まれた知らせというのは、彼にとって生涯受け入れがたい日となってしまいました。
それは、この地を治める真の王であるイエスではなく、あくまでも自分自身が王であり続けようとしたからです。
人間がいくら神に抵抗しようが、敵対しようが、ヘロデの最期を見れば明らかなように、その力には限界があります。
また、自分が王として君臨する王国(人生)を作ろうとするなら、ヘロデのようにこの社会においていくら強い力を持っていたとしても、その力は人を傷つけ、苦しめる力にもなりかねません。
私たちの持てる力が自分のために、また、人々のために最善に発揮されるためには、イエスを自らの王国(人生)の王として迎え入れることが必要なのです。
クリスマスをクリスマスとして過ごすためには、まず王として君臨していた自らの人生の王座から、自分自身が身を引く決断をするところからスタートします。
そして、イエスキリストを真の王としてお迎えするのです。
自分が人生の支配者となって、自分の思い通りにコントロールしようと頑張るのをやめて、イエスの支配に委ねて、新しい王としてお迎えしたイエスに従って生きていけばよいのです。
もし、彼氏や彼女の存在が、私たちのクリスマスの喜びを左右しているとしたら、それは恋人が自分の人生の王として君臨しているからです。
クリスマスの喜びは、人為的な何かによって作り出されるものではありません。
恋人の存在はあくまでも、プラスαの喜びです。
クリスマスの本当の喜びは、天から与えられた喜びであり、他のどんなものにも代えられない永遠の喜びです。
真の王であるイエスがこの世界と、そこに生きる私たち一人一人の人生の真っ只中に誕生したその事実に目を向ける時に初めて、本当にメリーなクリスマスを過ごすことができるのです。
「主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。御座はいにしえより固く据えられ/あなたはとこしえの昔からいます。」(詩篇93:1-2)
(完)