洗礼者ヨハネの誕生
先週の日曜日から、アドベントという期間に入りました。
クリスマスの1ヶ月前の日曜日から、クリスマスの前日、12月24日までがアドベントという期間です。
この期間は、イエスの到来を待ち望む時です。
私たちにとって、何かを待ち望む時というのは、心がとてもワクワクする時間だと思います。
例えば、旅行に行く予定があるとしたら、旅行の計画を立てながら、その日を楽しみにして待ちます。
また、自分の子供が生まれて来るとすれば、子供のためにいろんなものを準備しながら、子供が生まれてくる日を楽しみに待つでしょう。
聖書には、イエス様が誕生する前に生まれてきたもう1人の人の物語が書かれています。
先ほど読んだところに書かれていたのが、洗礼者ヨハネの誕生にまつわる話です。
洗礼者ヨハネが誕生するまでには、かなり変わった経緯があります。
ヨハネの父はザカリア、母はエリサベトという人ですが、2人には子供がなく、すでに子供を産む年齢を過ぎていました。
子供が生まれる希望がなくなった時、2人の間に生まれたのが、ヨハネでした。
年をとった夫婦や不妊の女性に子供が与えられるという話は、神様がなさった奇跡として聖書に出てきますが、その中で、神様が特別に子供の誕生を予告するケースがいくつかあります。
たとえば、アブラハムとサラの間に生まれたイサクや今日の話にある洗礼者ヨハネ、そして、イエスの誕生の時、神様は子供が生まれてくることを予告しました。
神様が子供の誕生を予告するというのはどういうことでしょうか?
そこに神様の計画があるということです。
ただ事前に知っていたことを教えてあげるということではなく、神様がその子供を通してなさることがあるのです。
天使の言葉を疑ったヨハネ
神様の計画というと、人間の考えや意志は無視されるのかと思うかもしれません。
しかし、今日の場面を見ると、ヨハネが生まれてくることは両親の思いを無視してなされたことではありません。
13節に「ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた」とあるように、ザカリアは子供が生まれてくることを願っていました。
その思いは、母親のエリサべトも同じでした。
神様は2人の思いを汲み取って、ザカリアとエリサベトの家庭に子供を与えられたのです。
そして、生まれてくる子供を通して、神様の計画を進めようとされました。
それでは、神様はどういう計画を持っていたのでしょうか?
16節と17節にある天使がザカリアに告げた言葉を聞くとわかります。
神様の計画は、イスラエルの多くの人々を神様のもとに立ち帰らせることにありました。
つまり、救いの計画を進めるためです。
そのために神様は、イエスに先立って、ユダヤの地にヨハネを送ったのです。
神様はザカリアのもとに天使ガブリエルを送り、妻のエリサベトが男の子を生むこと、また、その子供をヨハネと名づけるように伝えました。
そうするとザカリアは「私は老人ですし、妻も年をとっています」と言って、天使の言葉に対して否定的な反応をしました。
20節にある「時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」という言葉の通り、ザカリアは、神様の言葉を疑ったため、神様から口を閉ざされてしまい、一切喋ることができなくなってしまいました。
その後、聖書の続きを見ると、天使が告げた通りに、エリサベトは身ごもり、男の子を産みました。
再びザカリアが話すことができるようになったのは、その子供にヨハネと名付けた時でした。
ただ、普通、子供を産めない年齢になって、子供を与えると言われても信じられないと思います。
ザカリアは祭司として神様に仕える人であり、6節にも「神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった」とあるように、敬虔な信仰の持ち主でした。
それが、たった1回の出来事で話せなくなってしまうというのは、さすがにちょっと厳しすぎる気がします。
神様はそこまでしてザカリアの不信仰に怒ってしまわれたのでしょうか?
神様を賛美するために
この場面だけを見ると、聖書が描いている神様とギャップを感じてしまいますが、ここで大切なことは、ザカリアがこの出来事をどのように受け止めていたのかということです。
もう少し先の方までこの物語を読み進めていくとわかりますが、ザカリアはこのことを神様の罰だと受け取っていたわけではありませんでした。
ユダヤでは、男の赤ちゃんが生まれた場合、生まれてから8日目に割礼を施します。
この時に、ザカリアは生まれてきた男の子に、天使から言われた通りに「ヨハネ」と名付けました。
すると、およそ1年ぶりに、ザカリアは話すことができるようになりました。
1年ぶりにザカリアが発した言葉は、どういう言葉だったでしょうか?
64節を見ると「ザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」とあります。
ザカリアが1年ぶりに話した言葉は、神様への賛美の言葉でした。
もし、ザカリアが話せなくなったことを神様の罰として受け取っていたら、一番初めに何と言っていたでしょうか?
「1年長かったわ!」とか「俺の1年返してくれ!」というように、神様に対する不満の言葉が出ていたでしょう。
しかし、ザカリアが1年ぶりに話した言葉は、神様への賛美だったのです。
神様は疑う人に罰を与えて、人を従わせるようにするような方法を取るような方ではありません。
そのように、恐怖によって人を支配するやり方は、神様には合いません。
神様がザカリアの口を閉ざした本当の理由は、神様の罰でも、ザカリアの不信仰のせいでもありません。
ザカリアが神様を賛美するためでした。
ザカリアにとって、話せなかった1年間はどういう期間だったでしょうか?
それまでは当たり前のように話せていたのに、急に話せなくなったことに対する戸惑いがあったと思います。
天使は「この事の起こる日まで話すことができなくなる」と言っていましが、ザカリアは本当にまた話せるようになるのか不安でいっぱいだったと思います。
ただ、それと同時に、ザカリアは天使から告げられた通りに、不妊の妻エリサベトが身ごもり、男の子を生むという奇跡を目の当たりにしました。
ザカリアはいろんな感情を渦巻く中で、1年間、神様と真剣に向き合ったと思います。
祭司だったザカリアは、おそらくその1年間は祭司の務めもできなかったでしょう。
それまでの生活が一旦ストップして、沈黙という期間の中で、神様と向き合わざるを得なかったと思います。
ザカリアにとっては静かであり、激動の1年だったと思いますが、沈黙の1年を経て、ザカリアは神様の言葉は必ず実現するということを体験した。
そして、ザカリアは神様を賛美したのです。
現代は毎日が忙しくすぎ、沈黙することが少ない時代だと言えるでしょう。
私たちは社会の中で、何かを生み出すために考え、動き続けることが求められます。
しかし、時には考えること、動くことをやめて、神様の前で沈黙する時間が必要でしょう。
私たちの存在意義は、ただ存在しているということにあります。
それまでのことを一旦ストップして、ただ神様の前に存在している自分に心を留めるとき、何を考えるでしょうか?