徴税人ザアカイ
今日は聖書の中でもよく知られている、キリストと徴税人ザアカイの出会いを記した場面です。
ザアカイという人物は、エリコという街で、徴税人として働いていました。
徴税人というと税金を徴収する人のことで、今でいう国家公務員に当たる人です。
ザアカイが働いていたエリコは、北側からエルサレムに入るための入り口であり、交通の要衝だったため、多くの税収入があったと思われます。
そのエリコで徴税人を取りまとめていたザアカイは、特に収入が多かったようです。
このように、ザアカイには国家公務員の管理職という政治的に高い地位、莫大な財産、安定した生活がありました。
普通、そのような仕事に就いていれば社会から高く評価されそうなものですが、当時のユダヤにおいて徴税人というのは、むしろ、卑しい仕事だと見られていました。
当時ユダヤは、ローマ帝国に支配されており、徴税人はローマに納める税金を民衆から徴収していました。
そのため、徴税人はユダヤ人にとって汚れた者である異邦人(ローマ人)と接する機会も多くありました。
また、徴税人の多くが、本来ローマに納めるべき税金以上の額を民衆から徴収し、一部を自らのポケットマネーにするような悪習もあったようです。
そのようなことで、ユダヤでは、徴税人は敵国ローマの手先とみなされ、罪深い奴らだと嫌われていました。
その時ザアカイは、どういう気持ちで徴税人として働いていたのでしょうか?
悪い部分については割り切って、多くのお金と安定した生活に満足しながら生きていたのでしょうか?
イエスの凸
どうやらザアカイは、今の生活と自分自身に激しく葛藤し、悩みながら生きていたようです。
だからこそ、ザアカイはエリコの街にキリストがやってきた時、木の上に登ってまでして、キリストのことを見ようとしたのです。
木の上にいるザアカイを見つけ、キリストは声をかけました。
「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
キリストはザアカイの家に凸しようとしました。
この言葉は、もともとの原語の意味を汲むと「今日は、あなたの家に泊まることにしてある」と訳した方が適切です。
「必ず〜しなければならない」というニュアンスの言葉です。
キリストはエリコに来た時、どこか泊まる場所が必要で、場当たり的にザアカイに声をかけたわけではありません。
エリコに来る前から、キリストの中では、今日はザアカイの家に泊まることに決めていたのです。
普通そんなこと言われたら「いやいやいきなりそんなこと言われても…」となりそうなものですが、ザアカイは予想外の反応を示しました。
ザアカイは木の上から急いで降りてきて、喜んでキリストを迎えたのです。
ザアカイは「泊まることにしてある」というキリストの言葉に戸惑うどころか、喜んだのです。
ザアカイの心の雪解け
喜んでキリストを家に迎えたザアカイの姿に、ザアカイの心の中にあるものが見えてきます。
確かに、ザアカイには莫大な財産があり、安定した仕事がありました。
しかし同時に、ユダヤの人々からは、汚れた者だといつも軽蔑の目を向けられるという居心地の悪さもありました。
本文からは、ザアカイが徴税人の頭であったこと、金持ちであったこと、背が低かったことが書かれていますが、人はそういう肩書きや見た目を見て、その人のことを判断します。
でも、あくまでもそういうことは、ザアカイの表面的なことに過ぎません。
人は上部だけを見て人のことを判断しやすいですが、キリストはザアカイの心の奥深いところまでよく知っておられました。
だからこそ、その日はザアカイの家に泊まらなければならなかったのです。
そもそも、なぜザアカイは、人々から嫌われる徴税人なんていう仕事をしていたのでしょうか?
お金の亡者だったからでしょうか?
国家公務員の管理職という地位に心地良さを感じていたからでしょうか?
詳細は分かりませんが、ザアカイの中には、そうしなければならなかった、よほどの事情があったのです。
人々には簡単には感じ取ることができない、何かしらの理由があったのです
キリストは、私たちの心の奥深いところを知っておられます。
人には言えないことも、知られたくないこともよく知っておられます。
私たちが抱えているよほどの事情を理解してくださるお方です。
ザアカイという一人の人に会うために、エリコに来たキリストは、私たち一人一人にも出会ってくださるお方です。