牧師ブログ

「今日、驚くべきことを見た」

17ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。18すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。19しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。20イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。21ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」22イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。23『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。24人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。25その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。26人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。

場違いな発言

イエス様の周りには、その教えを聞くために、また、病気を癒してもらうために、常に多くの人々が集まっていました。
その一方で、イエス様のことを快く思わない人々も存在しました。
その代表が、当時、ユダヤで宗教的な指導者としての地位にいたファリサイ派や律法学者と言われる律法を重視するグループに属する人々です。

イエス様の噂がユダヤに広まると同時に、彼らはイエス様が聖書をもとに教えていることが律法にかなった正しい教えであるのかを調べにやってきました。

その時、イエス様のもとに中風という病気を患った一人の男性が運ばれてきました。
友人たちはイエス様の周りにできていた人だかりを掻い潜るために、人様の家の屋根を破壊して、天井から病人をイエス様の前に吊り下ろしました。
そこまでして癒しを求めにやってきた彼らの信仰を見て、イエス様はこう言われました。

「人よ、あなたの罪は赦された。」

この発言は、病の癒しを求めてやってきた人に対するものとしては、不自然に思えます。
彼らの願いは、病が癒されることなのです。
それにもかかわらず、なぜイエス様は病人に罪の赦しを宣言したのでしょうか?

病人=罪人?

罪の赦しを宣言するということは、イエス様にとってリスクの高いことでした。
この発言はファリサイ派や律法学者たちにとって、看過できないものでした。

「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」

これがファリサイ派や律法学者たちのイエス様に対する最初の評価であり、この時から彼らの監視活動が始まりました。
最終的には、彼らはイエス様のことを神を冒涜した罪によって、十字架にかけて殺してしまいます。

しかし、イエス様はもう一度念を押して言われました。

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」

当時、ユダヤでは病気というのは罪の結果として起こるものだと考えられていました。
つまり、そこは病人=罪人の世界だったのです。 
病気は身体的な苦痛をもたらすだけではなく、罪人というレッテルを貼られてしまうため、精神的なダメージも大きかったのです。

中風という病気を患っていた男にとって、この罪の赦しの宣言はどのように響いていたでしょうか?

赦された者として…

イエス様は、神様の権威によって病人に罪の赦しを宣言し、彼を立ち上がらせました。
すっかり病が癒された彼は、神様を賛美しながら家に帰って行きました。

これを見ていた多くの人々も、イエス様が単に病気を癒してくれる者ではないことを知りました。
「今日、驚くべきことを見た」と言って、神様を賛美し始めたのです。

この場にいた人々は罪の赦しを宣言し、病人を癒したイエス様を見ながら、そこに神様を見たのです。
神様の力を感じたのです。

イエス様は今、私たちに対しても「あなたの罪は赦された」と宣言しておられます。
この言葉を聞き、ある者は癒され、自由にされました。
しかし、ある者は殺意にかられ、神に敵対する者として歩んで行きました。

私たちは今、この言葉をどのように聞き、受け止めるでしょうか?