牧師ブログ

「見捨てることができようか」

1ユダの王アハズの治世第十二年に、エラの子ホシェアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間王位にあった。2彼は主の目に悪とされることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちほどではなかった。3アッシリアの王シャルマナサルが攻め上って来たとき、ホシェアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。4しかし、アッシリアの王は、ホシェアが謀反を企てて、エジプトの王ソに使節を派遣し、アッシリアの王に年ごとの貢ぎ物を納めなくなったのを知るに至り、彼を捕らえて牢につないだ。5アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。彼はサマリアに攻め上って来て、三年間これを包囲し、6ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた。7こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、8主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。9イスラエルの人々は、自分たちの神、主に対して正しくないことをひそかに行い、見張りの塔から砦の町に至るまで、すべての町に聖なる高台を建て、10どの小高い丘にも、どの茂った木の下にも、石柱やアシェラ像を立て、11主が彼らの前から移された諸国の民と同じように、すべての聖なる高台で香をたき、悪を行って主の怒りを招いた。12主が、「このようなことをしてはならない」と言っておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。

北イスラエル滅亡のわけ

イスラエル王国分裂後、先に崩壊を迎えたのは、北イスラエル王国だった。
その最後の王であるホシェアは、北の大国のアッシリアに逆らい、南の大国のエジプトについたことがきっかけとなり、北イスラエルはアッシリアから占領されるに至った。
こうして、北イスラエルは200年の歴史に終止符を打ち、滅亡した。

神の国である北イスラエルは、なぜ滅亡に至ったのか?

7こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、8主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。

北イスラエルは「主に対して罪を犯し」たため、滅亡した。
この罪というのは、7節の終わりに「他の神々を畏れ敬い」とあるように、偶像に仕えたことだった。

特に北イスラエルが熱心に仕えた偶像が、バアルである。
北イスラエル最後の王であるホシェアが、エジプトに寝返ったことも、偶像崇拝という罪の一つである。

北イスラエルで預言者として活動したホセアは、ホシェア王がエジプトと同盟を結んだことについて「愚かで、悟りがない」と言っている。
ホシェアがアッシリアの支配から脱するために、エジプトに救いを求めたということは、この時、ホシェアの中でエジプトが偶像になっていたということである。

しかし、実際にはホシェアの期待は裏切られ、エジプトは北イスラエルを救ってくれはしなかった。
それどころか、そもそも戦うことさえしなかったのである。

アッシリアやエジプトを頼ろうとする姿にこそ、北イスラエルの偶像崇拝の罪が見え隠れしている。

イスラエルを救うのは誰か?

ホシェア率いる北イスラエルは、本当に自分たちを救ってくれるのが誰であるのかを知らなければならなかった。
この列王記を書いた記者は、イスラエルの神について、こう言っている。

7…彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主…

そう、イスラエルの神というのは、かつてエジプトの奴隷として苦しんでいた時、エジプトの地から導き上り、ファラオの支配から解放してくださった主なる神である。

このお方がイスラエルを救う主であることが、イスラエルの民に鮮明に示された出来事が「葦の海の奇跡」である。
神様はモーセを通して、海を真っ二つに割り、追ってくれるエジプト軍から逃れるようにしてくださった。
神様は「私こそがあなたたちの神であり、あなたたちを救う主である」ことを見せてくださったのである。

しかし、時代が進むにつれて、イスラエルの中で出エジプトという大いなる救いの御業が語られなくなっていった。
それで、バアルという偶像や、アッシリアやエジプトという大国、こういうものに救いを求めるようになっていき、イスラエルは破滅へと向かっていったのである。

お前を見捨てることができようか

ここで一つ疑問が浮かんでくるが、それは、なぜイスラエルの民をエジプトから救われた神は、アッシリアからは救ってくれなかったのかということである。
北イスラエルの滅亡は、神様がこの民を見捨てたということを意味するのであろうか?
そうではない。
おそらく、国が滅亡するという苦難の道を通ることが、偶像崇拝を終わらせる唯一の道であったからこそ、神様は北イスラエルの滅亡を許されたのではなかったか。

預言者ホセアも、偶像崇拝から離れないイスラエルを愛し続けるという神様の心を明らかにしている。

8ああ、エフライムよ/お前を見捨てることができようか。イスラエルよ/お前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨て/ツェボイムのようにすることができようか。わたしは激しく心を動かされ/憐れみに胸を焼かれる。9わたしは、もはや怒りに燃えることなくエフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。(ホセア書11:8-9)

8節の終わりに「憐れみに胸を焼かれる」とあるように、神様は怒りを感じながらも、怒りによって胸が焼かれるのではなく、憐れみによって胸を焼かれるお方である。
つまり、確かに神様は、北イスラエルが滅亡することを許されたが、このことは神様に見捨てられて起こったことではない。
最悪なこと、ありえないことが起こったとしても、神様は私たちのことを愛し続けてくださるお方である。

それが、キリストの救いによって、今の私たちに約束されていることである。
昔のイスラエルと今の私たちとで決定的に異なるところは、私たちはすでにキリストによる救いに与っているということである。
もはや私たちの罪は、すべてキリストが十字架の上で負ってくださった。

だとすれば、私たちがどんなに大きな罪や失敗を犯したとしても、神様が私たちに罪の罰を与えたり、見捨てるということはあり得ない。
神様は私たちのすべてを赦して、私たちのすべてを受け入れてくださっているのである。