イエスをとっ捕まえるために…
ある時、神殿の境内で教えているイエス様のもとに、一人の女性が連れて来られました。
彼女は姦通の現場で捕らえられた女性でした。
律法学者とファリサイ派の人々は、イエス様に向かってこう訴えました。
「律法によると、姦通の罪を犯した人は石打ちの刑に処するべきですが、あなたはどうお考えになりますか?」
彼らの目的は、この女性の罪を裁くことではなく、イエス様を訴える口実を得るためでした。
この頃、民衆の間ではイエス様が来るべきメシア、救い主であるという論調が高まっていました。
イエス様は、罪人と一緒に食事をしたり、律法に反していると思われるような言動をしていたため、宗教指導者たちは、律法の権威を貶めるイエスがメシアだと言われ始めたことに危機感を覚えていました。
それで彼らは、この女性を利用したのです。
石打ちにすべきか否か
この時、おそらく宗教指導者たちは、イエス様がこの女性のことを「石打ちにしてはならない」と答えると予想していたと思います。
もし、イエス様が「石打ちにしてはならない」というような発言をするとなると、宗教指導者たちは、イエス様のことをユダヤの伝統に逆らい、ユダヤ社会を惑わす偽メシアとして逮捕する口実を得ることになります。
それでは、実際にイエス様はなんと答えたのでしょうか?
イエス様は女に石を投げるように言われたのでしょうか、それとも石を投げるなと言われたのでしょうか。
イエス様の答えは「この女に石を投げなさい」でした。
姦通の罪を犯した女性は、石打ちの刑に値するというのが、イエス様の見解でした。
ただ、この時イエス様は彼女に石を投げるために、一つだけ条件を付けました。
それが「あなたたちの中で、罪を犯したことのない者」という条件です。
つまり、罪を犯したことのある者は、この女に石を投げてはならないということです。
この言葉が意味しているところは、人を罪に定めることができるのは、罪を犯したことのない者だけだということです。
世を救うために来られたイエス
そうすると、宗教指導者たちは、年長者から始まって、一人また一人と、その場を離れ去って行きました。
その場に残ったのは、イエス様と女性の二人だけでした。
イエス様は女性にこう言われました。
「だれもあなたを罪に定めなかったのか。わたしもあなたを罪に定めない。」
イエス様はその場を去っていった宗教指導者たちとは異なり、罪のない者として、唯一女性に石を投げることのできる権威を持っていました。
しかし、イエス様は女性を罪に定めることはしませんでした。
イエス様の関心は、人々の罪を発見し、責め立てることではありません。
それは、人間が熱心にやっていることです。
イエス様は私たちの罪を赦し、魂を癒し、生かしてくださるお方です。
この救いが、私たち一人一人に与えられているのです。