牧師ブログ

「神様110番」

イスラエルに王制が導入されるにあたり、最初に王として任命されたのはサウルだった。
初めはサウルを拒絶する人々もいたが、サウルが王になってから、一番初めに導いた戦いで大勝利を収めたことにより、王としての評価は一気に高まった。

サウルが王になってからは、ほとんどすべての戦いに勝利したように、サウルは軍事的なセンスを持った王だった。
ペリシテ軍が3万の戦車3万、6千の騎兵、海の砂のように多い兵士たちを配備して、イスラエルに攻め込もうとした時も、逃げ惑う人々とは対照的に、サウルはイスラエルの先頭に立ち、王として勇敢な姿勢を示した。

もともとイスラエルに王が立てられたきっかけは、民が自分たちも他の国のように強くなりたいと思ったからである。
サウルは、民が求めた王様像に近かったため、民からの支持を得ることはできた。
しかし、神様はサウルのことをイスラエルの王から退けようとしていた。

サムエルの激怒

サウルはサムエルから油を注がれて、王として立てられた後、ギルガルというところに行くように言われた。
それは、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげるためであった。
ただこの時、サウルはサムエルが到着するまで、そこで7日間待たなければならなかった。

それでサウルは、ギルガルに来た時に、以前サムエルから言われた通り、サムエルのことを待っていたが、約束の日が過ぎても、サムエルはやって来なかった。
この時は、ペリシテ軍がいつイスラエルを攻めてきてもおかしくない、とても緊迫した状況にあった。
そうすると、サウルの後ろで待機していた3,000人の兵士たちが、サウルのもとから離脱し始めた。

この時、相手の戦力と比べれば、ただでさえ少ない兵士たちが離脱し始めたことで、サウルは危機を感じた。
それで、サムエルはまだ到着していなかったが、サウルは献げ物を持って来させて、戦いに備えて自ら献げ物をささげた。

サウルが焼き尽くす献げ物をささげ終えたちょうどその時、サムエルがやってきた。
サムエルは、サウルが自ら献げ物をささげたことを知り、激怒した。

サムエルはサウルに対して「あなたは愚かなことをした」と言いながら、神様は御心にかなう人を求めて、イスラエルに新たな王を立てると言われた。
これは、サウルの王権の終焉を意味した。

サウルが取った行動は、サムエルを激怒させるものであり、結果的にサウルの王権を終わらせる愚かな行為だった。
ここでサムエルが厳しく戒めたサウルの愚かさとは一体何だったのか?

サウルの愚かさ

サウルの愚かさとして、まず考えられることは、サウルが自ら献げ物をささげて、祭司の権能を犯したということである。
当時、献げ物をささげることができたのは、レビ人からなる祭司たちだけだった。

しかしこの時に、サウル本人が直接、献げ物をささげたとは限らない。
サウルは、誰かに献げ物を持ってくるように命じたように、サウルの周りには彼の取り巻きがいた。
おそらく、祭司やレビ人の家来たちなどが一緒にいて、彼らが献げ物をささげたということも考えられる。

また、イスラエルの王国の初期の頃は、王や祭司の権能が明確に区分されていたわけではなかった。
聖書には、イスラエルの2代目、3代目の王であるダビデやソロモンも、献げ物をささげたという記録もある。

そうだとしたら、サウルの問題はどこにあったのか?
それは、サウルが献げ物をささげた動機にある。

サウルがサムエルが来る前に、自ら献げ物をささげたことをサムエルから戒められた時、サウルはこのように弁明した。

兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました。(サムエル記上13:11-12)

サウルは、サムエルが約束の日を過ぎても来ないという予想外の出来事に加えて、ペリシテ軍が攻め下ろうとしているのに、兵士たちが自分のもとから去って行くという事態が重なり、まさに緊急事態に陥っていた。

サウルがささげた焼き尽くす献げ物は、文字通り、いけにえのすべてが焼かれることから、神様に100%献身することを表す献げ物である。
しかし、この時のサウルには、100%神様にささげますという信仰はなかった。
サウルは、差し迫った現実への恐れと不安に駆られて、献げ物をささげてしまった。

つまり、これ以上兵士たちが自分のもとから離れていくことのないように、兵士の心をつなぎとめるために、サウルは献げ物を利用したのである。

サウルに求められたこと

もともと、イスラエルの兵士は3,000人しかいなかったが、最終的にサウルのもとに残ったのは、わずか600人だけだった。
ただでさえ、戦力的に圧倒的な不利だったにも関わらず、サウルはこれ以上、戦力がダウンすれば、ペリシテには勝てないと思ったはずである。

緊急事態に陥ったことで、サウルは本来、信仰によってささげるべき献げ物を軽んじてしまったのである。

献げ物をささげるという行為は、神聖な行為であり、その中身がないまま、ただ形だけ行ったとしても何の意味もない。
礼拝をささげたり祈りをささげたりすることも同じで、こういう宗教的な行為は神様への信頼があるべきで、決して何かをコントロールするために行うものではない。

むしろ、その真逆で、自分でなんとかコントロールしてやろうという心をおろして、神様に完全に委ねる行為が礼拝であり、祈りである。
サムエルが指摘したサウルの愚かさとは、信仰もなく、形だけ献げ物をささげて、神様を侮ったことである。

サウルが王として担った使命の一つは、敵からイスラエルを救うことにあったが、だからと言って、イスラエルの中心は軍事力ではない。
これは、イスラエルの民が求めたことであって、神様がサウルに求めたこととは異なる。

イスラエルの王というのは、あくまでも神様の統治をこの地上にもたらす、神様の代理人という立場にある。
イスラエルの王は、神様の代理人として、軍事力や経済力ではなく、神様の力によって国を統治することが求められた。
そのために、イスラエルの王にとって最も大切な資質は、神様を信頼する信仰である。

教会も、私たちの人生もすべて、世が求める力ではなく、ただ神様への信頼によって立てられる時、そこに神の国が実現するのである。