牧師ブログ

恋愛と結婚の違い

「恋愛の達人=結婚の達人ではない。」

誰でも中学生や高校生になれば、「異性と親しくしたい」と感じるようになるが、それは性を持つ人間の自然な感情である。
友達と話す内容も“恋バナ”が多くなり、異性と付き合うということに憧れを抱く時期でもある。
恋人がいるということが大切なステータスであり、周りに対するアピールにもなる。

もうすぐクリスマスだが、この時期になると「恋人作らないとなあ」とか「今年もひとりかあ…」など、恋人がいるかいないかということに多くの関心が向けられる。
しかし、単に憧れやステータスを求める恋愛は楽しい経験になるよりも、痛い経験につながる可能性が高い。

我々が心の奥底から本当に求めていることは“恋に落ちること”ではなく“愛の関係を結ぶこと”であり、この二つは全くの別次元のものであることを知らなければならない。

ある結婚カウンセラーによると「恋愛から来る執着心の平均寿命は2年」だそうだ。
恋愛中の幸福感は、相手と親密な関係ができたような錯覚を起こさせる。
恋に落ちる体験は、意思の行為でも意識的な選択でもない。
幸福感という感情に導かれる恋愛は、私自身の成長にも、相手の成長や発展にも焦点を置いていない。

恋愛中というのは、大した努力をしなくても、お互いに愛し合っている感覚に陥りやすい。
そういう恋愛は“非現実的な世界”での出来事に過ぎないため、付き合っている中でお互いを激しく傷つけたり、別れた後も深い傷として残ることにもなり兼ねない。

「恋は盲目」という言葉がある通り、非現実的な世界における恋愛は、非現実的な幸福感を誘発するため、人を盲目にさせる“魔力”があるのだ。
もし、恋愛の幸福感の延長線上で結婚するとしたら、魔力から覚めた時に初めて現実世界に引き戻されるため、そこからの結婚生活には相当な忍耐と努力が必要となる。
「こんな人だとは思わなかった」「マジで騙された」なんてならないような健全な恋愛ができればこの上ない。

じゃあ、結婚につながる恋愛とはどのようなものだろうか?
聖書によると結婚というのは「二人が一体となる」ことであり、事実、心や体だけではなく、時間もお金も様々なものを共有する共同生活である。

そのため、結婚生活が始まる前に「一体となる」準備をすることが必要だ。
付き合う中で自分自身の本当の姿を相手に開示しながら、お互いを知っていく過程を通ることである。
付き合ってからすぐに本当の自分をさらけ出すと、一気に現実世界に戻されたショックで相手から別れを告げられてしまうかもしれないので、あくまでも“徐々に”だ。

単に相手が喜ぶことをし合うだけではなく、お互いがしっかりと向き合って相手の本当の姿を知り、良いところも悪いところも受け入れ合える“裸の関係”になる準備をすることである。

相手に対して「なんか冷めちゃった」という感覚を覚えることは悪いことではなく、むしろ健全なことである。
「恋の虜」になっているところから冷めちゃった状態こそ、現実である。

非現実的な世界から相手に冷めた感情を抱いた現実に引き戻された時に、自分と相手を素直に見つめなおすことができる健全な恋愛が始まるのである。