牧師ブログ

どうして人は結婚するの?(15)

『完全自由競争の恋愛市場②』

この社会が、個人の利益を追求する消費者中心社会に移行してきたことで、恋愛市場でも同じように、男女が商品のように取り扱われるようになりました。
そういう中で、結婚の本質は完全に隠されてしまいました。

それでは、聖書が教える結婚の本質はどこにあるでしょうか?
それは「契約」です。

15回目にして、ようやく核心部分に辿り着きました。
結婚の本質は、この契約にあります。
契約という概念を抜きにして、結婚について語ることはできません。

聖書は、この世界は神様によって創造されたと教えています。
神様が築こうとしている社会は、消費者中心ではなく、契約中心社会です。

そのために、まず神様は人との間に契約を交わしました。
この契約によって神様が人に与えた約束は、救いです。
救いというのは、自分の欲望のもとに生きるのではなく、私たちが神様とずっと一緒に、神様の愛のもとに生きていくことです。

いくら人が神様を裏切ったとしても、神様は救いを取り消したり、私たちを見放したりすることはありません。
すでに両者の間で、契約が交わされていて、神様と人は永遠の契約関係にあるからです。

だから、神様の愛というのも、契約に基づいた愛です。
私たちと神様との関係が契約に基づいているからこそ、神様の愛も安心して受け取ることができるのです。

聖書は、夫婦というのも、契約関係にあるのだと教えています。
人間同士の個人的な関係の中で、お互いが契約に合意して結ばれる関係は、夫婦関係以外にはこの世に存在しません。
親子関係とも兄弟関係とも違う、他に類を見ない独特の関係が夫婦関係です。

契約関係というと、形式的で偽善的な関係のように感じるかもしれません。
しかし、契約によって結ばれているからこそ、消費者同士の間には見ることのできない深い関係が築き上げられるのです。

もし、消費者の立場から相手と関わると、どんなことが起こるか考えてみましょう。
まず、結婚相手を選ぶ基準は、消費者としての自分の必要を満たしてくれるかどうかです。
職業、学歴、顔や性格などが、自分を満足させてくれるかどうかで相手を選定します。

希望の相手と結婚したとしても、依然として消費者として関わり続けるなら、その関係は長くは続かないでしょう。
自分の必要に完璧に応えてくれる商品がないように、この世にはそんな人は存在しないからです。

「相手から何を得られるのか」という消費者の視点でしか相手を見ないのであれば、そのうちにその人は自分にとって必要のない人になっていくでしょう。
今の相手とは別れて、もっといい人(=自分の必要に応えてくれる人)を探すことになるからです。

もちろん、いつも消費者でいる方がずっと楽です。
契約関係にある相手との間では、特に相手に裏切られた時、「赦せない、もう関わりたくない」と葛藤することがあります。

しかし、反対に言えば、そういう経験は契約関係の間でしか起こりえません。
この相手との関係に踏み止まろうとする葛藤こそが、契約関係にある両者を深く結び合せていきます。
契約によって結ばれている夫婦は、2人の間でしか築き得ない忍耐を伴った愛によって深い関係を築いていくことになるのです。

①夫婦関係=契約関係である。
②契約関係にある夫婦は、生涯を通して深い関係を築いていく。