金持ちは神の国出禁??
イエス様は「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか?」と尋ねてきた金持ちの青年議員に対して、「殺すな、姦淫するな…」等々の十戒の掟と「貧しい人々に施しなさい」という2つのことを話されました。
そうすると、青年は多くの財産を持っていたゆえに、悲しいながらその場を立ち去っていきました。
青年を見ながら、イエス様は「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」と言われました。
このことから、
「多くの財産を持つ者は、神の国に相応しくない」
「クリスチャンはお金持ちになるべきではない」
「クリスチャンであれば、質素倹約な生活をするべきだ」
と言われることがあります。
本当にそうでしょうか?
永遠の命を得るには…
イエス様のところに来た男は、ユダヤの議員であり、生まれも育ちも超一流の青年でした。
彼には、若さや財産、恵まれた家庭環境や社会的な地位など、他の人々から羨ましいと思われるようなもので満ち溢れていました。
ただ、この青年は一つの不安を抱えていました。
それは「このままで自分は永遠の命を受け継ぐことができるのだろうか」というものです。
それで「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか?」とイエス様に尋ねたのです。
この質問自体に、青年の問題が浮き彫りにされています。
青年はイエス様が言われた十戒の掟について「そういうことはみな、子供の時から守って来ました」と答えているように、これまで熱心に学び、熱心に行い、本当に真面目に生きてきたのだと思います。
あらゆるものを積み上げて来たものの、それでもまだ、青年の中には「永遠の命」に対する不安があったのです。
それで、青年は「何をすればよいでしょうか?」とイエス様に尋ねました。
しかし、そもそも永遠の命というのは、何かを「すること」によって、何かを積み上げることによって得る類のものではありません。
「善いこと」から「善い方」へ
イエス様がこの青年に本当に伝えたかったことは、おそらく、十戒の掟や施しに関する「行い」ではなかったと思います。
イエス様は、青年に対する最初の応答として、このように言われました。
「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。」
また、男が去った後、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った弟子たちに対して「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」とも言われました。
青年が本当に目を向けるべきところは、「善い行い」ではなく、神様が「善いお方」であるというところでした。
まさに、イエス様は私たちが「善いこと」から「善い方」へと目を向けるために、この世に来てくださいました。
「こんなんで自分は救われるのだろうか?」「本当に天国に行けるのだろうか?」と不安に思う時、私たちは善い神様を見上げることができます。
神の国というのは、こちら側の努力や頑張りによるのではなく、すべて善いお方である神様が与えてくださる恵みの世界なのです。