牧師ブログ

「神のご加護」

1aこれらの事があって後、ペルシアの王アルタクセルクセスの治世に、6aエズラがバビロンから上って来た。1bエズラの祖先は、父がセラヤ、祖父がアザルヤ、更にヒルキヤ、2シャルム、ツァドク、アヒトブ、3アマルヤ、アザルヤ、メラヨト、4ゼラフヤ、ウジ、ブキ、5アビシュア、ピネハス、エルアザル、そして祭司長アロンとさかのぼる。6bエズラは、イスラエルの神なる主が授けられたモーセの律法に詳しい書記官であり、その神なる主の御手の加護を受けて、求めるものをすべて王から与えられていた。7アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエルの人々、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人から成る一団がエルサレムに上り、8同王の第七年の第五の月にエルサレムに到着した。9彼らは第一の月の一日をバビロン出発の日とし、神の慈しみ深い御手の加護を受けて、第五の月の一日にエルサレムに到着した。10エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。(エズラ記7:1-10)

律法(御言葉)に潜む罠

バビロンにより滅ぼされたイスラエルは、捕囚の後、大きく二つのことによって、国の再建が図られました。
一つは、神殿の再建(礼拝)、そして、律法の回復(御言葉)です。

このうち、律法の回復のために働いたのが、エズラという人でした。
当時のイスラエルでは「自分たちは律法を守ってこなかったからバビロンに滅ぼされたのだ」という認識がありました。
あの悲劇を二度と繰り返さないために、律法を学び、律法に従い、律法を守ろうとしたのが、書記官として律法を研究し、教えていたエズラの時代の風潮でした。

しかし、この律法に対する熱い思いは、時代を経て、誤った信仰観を生み出すこととなりました。
イエス様の時代になると、律法学者やファリサイ派というグループが存在していましたが、彼らはエズラのような書記官たちに端を発した人々です。
彼らは、イエス様からたびたび厳しくお叱りを受けました。
それは、律法学者やファリサイ派という律法に従おうとしていた人々こそが、律法に逆らう考えや態度に陥っていたからです。

本来、律法というのは「神様を愛すること」と「隣人を愛すること」の二つに要約されます。
つまり、律法の重要な目的は、愛の関係を回復することです。

しかし、律法の専門家たちは、律法を絶対的な基準にして、それを元に○か×かの判断を下していたのです。
これこそ、イエス様が戒められた「律法主義」でした。

神様が与える自由な生き方

律法主義というのは、単に御言葉だけではなく、ある基準を決めて、そこに向かって頑張るという姿勢です。
今、オリンピックが行われていますが、金メダルという目標を掲げる分には良いと思いますが、それが絶対の基準になると、それは律法主義だと言えます。

そうすると何が起こるかというと、もちろん金メダルを取れれば良いですが、そうできなかった時、つまり、基準に到達できなかった時、そこには大きな苦しみが生まれます。
基準に到達できなかった自分を受け入れることができなければ、自分で自分を責め、攻撃します。
周りの人からそうされることもあるかもしれません。
そこには「赦し」や「受け入れる」というものがありません。
これこそが、律法主義の最大の問題点です。

捕囚という悲劇を通して、イスラエルの民は律法に従えば神からの祝福があり、逆らえば呪いがあると信じていました。
しかし、それは大きな間違いでした。
神様は、そうやって律法という基準によって人を評価し、報いる方ではありません。
それは、イスラエルの歴史が明らかにしています。
イスラエルは、捕囚の前も後も、やっぱり律法に忠実であることはできませんでした。
それでも、神様はイスラエルを捕囚から解放し、イスラエルの再建のために働かれたのです。
そこに、神のご加護があったのです。

私たちはもはや、律法に縛られる必要はありません。
聖書の御言葉も、決して「こうあるべき」という律法ではありません。
聖書の大切なメッセージは「こうしなければならない」「こうしてはならない」という教えではなく「それでも私はあなたを愛する」という神様の愛なのです。