ヘロデの横暴
2025年も今日が最後の日曜日となりました。
日本ではクリスマスが終わると、クリスマスムードが一掃されて、一気に新年モードに意識が切り替わる。
12月26日になると、お店からクリスマスを匂わすものは一掃されるので「クリスマスとは一体何だったのか」と思ってしまうくらい雰囲気が変わります。
キリスト教のカレンダーだと、1年はアドベントから始まります。
アドベントが新年で、クリスマスがあり、その後はクリスマスから12日目に当たる1月6日に、日本では世間一般には全く浸透していませんが、エピファニー(公現祭)という祝祭があります。
エピファニーは、東方から来た占星術の学者たちがイエスのもとを訪れて、礼拝したことを記念する祝祭で、日本では、カトリックやプロテスタントの中だと聖公会などの伝統を重んじる教派で、エピファニーを祝う礼拝が捧げられます。
また、クリスマスとエピファニーの間に、日本の教会では、1月1日に元旦礼拝が捧げられるところも多いと思います。
これは日本独自の習慣で、初詣として寺社に行く代わりに教会に行くというものです。
私的には、もっと日本の教会にもクリスマスの余韻というか、そういうものがあったらいいなと感じています。
ということで、今日はイエスが生まれた直後の話を聖書から分かち合っていきたいと思います。
2000年前、イエスが生まれた時、両親のヨセフとマリア、またイエスを拝みに東方からやってきた占星術の学者たちは、幼子の誕生を喜びました。
ただ、その一方で、イエスの誕生を喜ばなかった人、喜べなかった人がいました。
それが、当時ユダヤを支配していたヘロデという王様です。
マタイ2章1〜3節を見ると、占星術の学者たちは、ユダヤ人の王として生まれた方を拝みにエルサレムを訪れたが、その話を聞いて、ヘロデは不安を抱きました。
それは、ユダヤ人の王が生まれたということは、自分がユダヤの王から退けられて、ユダヤに新しい王が立てられることを意味したからです。
それで、ヘロデは生まれて来た幼子(=イエス)を探し出し、殺そうとしました。
ヘロデ王は、政治的にとても優れた王様でしたが、同時に、ものすごく残酷な王としても知られています。
ヘロデは、自分の王座を守るために、妻や子供たちなど、家族の命にまで手をかけました。
それほど、王という地位に拘りを持っていました。
この時ヘロデは、占星術の学者たちに「私も行って拝もう」と言っていますが、これは子供を探し出すための口実であり、嘘です。
ヘロデの目的は、新しい王であるイエスを殺すことにありました。
しかし、占星術の学者たちは、幼子であるイエスに出会った後、夢の中で「ヘロデのところへ帰るな」というお告げを聞いたので、ヘロデの命令を無視して、そのまま自分の国へと帰って行きました。
それを知ったヘロデは、激怒して、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子を、一人残らず殺すように命令したのです。
このように、ヘロデは徹底的に、自分の王座を守ろうとした人です。
ヘロデの関心はどこまでも、自分が王であり続けることにありました。
悪に翻弄される世界
ヘロデはユダヤの新しい王を殺したと思っていたが、イエスは難を逃れていました。
イエスの父であるヨセフは、天使から「ヘロデがイエスを探し出して殺そうとしている」ということを夢の中で告げられました。
ヨセフはその日の夜のうちに、マリアとイエスを連れて、家族みんなでエジプトに逃げていきました。
こうしてヨセフ一家は、ヘロデが死ぬまでエジプトで暮らすことになりました。
ヘロデが死んだ時に、再び夢の中でヨセフに天使が現れて「ユダヤに帰るように」と告げられました。
それでヨセフ一家は、ユダヤへと戻ることになりました。
これで一件落着かと思いきや、ユダヤではヘロデの息子であるアルケラオが、父親の跡を継いで新しい王になっていました。
その時にまた夢でヨセフにお告げがあり、今度は、ガリラヤ地方のナザレという町に行くことになりました。
「ナザレのイエス」と言われる通り、イエスはその後、この町でずっと暮らしていくことになります。
もともとヨセフとマリアの二人は、ナザレに住んでいました。
ある時、ローマ皇帝の命令によって、住民登録をするために、ナザレからベツレヘムへ行くことになりました。
ちょうその時にマリアは産気付き、イエスはベツレヘムで誕生しました。
その後、ヘロデの横暴によってベツレヘムからエジプトへ行き、エジプトからユダヤに戻ってきたと思ったら、今度はナザレへと行くことを余儀なくされました。
このように、ヨセフ一家は、権威者によって振り回される人生を送らなければなりませんでした。
当時のユダヤは、とてもじゃないけど「メリークリスマス!」というような雰囲気ではありませんでした。
ヨセフ一家は、ヘロデという一人の王様の暴挙によって、私たちが知っているクリスマスとは全く異なる悲惨な状況に置かれていました。
多くの子供たちの命が奪われ、また、生まれたばかりの幼子を抱えながら、国を追われる家族がいました。
そこは、権威と暴力の前に何の抵抗もできずに、悪に翻弄される世界だったのです。
人間が犯し続けている罪
どうしてそのようなことが起こっていたのでしょうか?
イエスの生まれた世界で起こっていたことは、激しい主権争いです。
「誰が本当の王なのか?」という争いであり、神の国とヘロデの王国との争いです。
ヘロデにとって「ユダヤの王が生まれた」という知らせは、ヘロデの王国を脅かす恐ろしい話でした。
ヘロデは、生涯、自分がユダヤの王であり続けるために、家族や多くの罪なき子供たちを殺しました。
権威と暴力によって国を治め、恐怖によって人々を支配しようとしたのです。
しかし、結局ヘロデ王は、激しい苦痛を伴う病気にかかり、凄惨な死を遂げたと言われています。
ヘロデは最終的に、主権争いに敗れ、ヘロデの王国は終焉を迎えることになりました。
死というものを乗り越えることはできなかったのです。
2000年前のユダヤで起こっていたことは、決して遠い世界の昔話ではありません。
今も世界中で起こっていることです。
人間が、自分が絶対的な王であると思い込み、人を支配して、自らの王国を作ろうとする姿は、今の時代も変わりません。
人間が自分の国を作ろうとして、権威や暴力を用いて人を支配しようとする時、そこには大きな苦しみが生まれています。
人間はいつの時代も、人の尊厳を軽んじ、その命を奪っています。
この2000年間、人間の姿はほとんど変わっていないように見えます。
こういう世界を見ながら、私たちは「神様がいるのに、どうしてこんな悲劇的なことが起こるのか?」と思うことがあります。
結局は力があるものが勝つ世界なのか?
正義は悪に屈してしまう世界なのか?
こういう思いは私たちの率直な思いです。
ただ、この時、私たちが同時に問うべきことがもう一つあります。
それは「なぜ人間は主権争いを繰り返しながら、何千年もの間、同じ過ちを繰り返してしまうのか?」ということです。
この歴史を通して、人間は人の尊厳を踏みにじり、その命を軽んじてきました。
私たちが抱えている問題というのは、単にモラルとか倫理の問題ではありません。
問題の本質は、神様の代わりに人間が王となってしまっていることにあります。
ヘロデ王のように、自分が生きる世界から神を追い出して、自分の思い通りの国、我が王国を作ろうとしてしまうこと、これが、歴史を通して、人間が犯し続けてきた最大の罪だと思います。
この世界に残された希望
これは決して国や権力者たちだけの問題ではありません。
教会や家庭も無関係ではありません。
家庭では日々、夫婦の間で主権争いが繰り広げられています。
相手の上に立とうとする戦いが続いています。
もし教会で、牧師が権威を振りかざして人々をコントロールし、そこに苦しみが生じているとしたら、それも主権争いの一つです。
もはやそこは、イエスの教会ではなく、牧師の王国です。
この世界の歴史を見ると、ヘロデのような力を持っている人によって、動いているように見えるかもしれません。
私たちの人生も、抵抗できないいろんな力に振り回されていると感じることがあります。
しかし、私たちが生きる世界というのは、神様がご自分の独り子である、イエスを遣わしてくださった世界であることを忘れてはなりません。
自分の王国を作ろうとする人間によって生み出される理不尽や悲惨なことが絶えない世界の中に、神様は自ら来てくださいました。
聖書が伝えている福音(良い知らせ)というのは、イエスがこの世界の王であるということです。
2000年前の出来事は、この福音を私たちの世界に明らかにする出来事です。
イエスという王は、私たちを力によって支配し、コントロールするお方ではありません。
人間の尊厳を踏みにじり、命を道具のように扱う王ではありません。
私たち一人一人の尊厳と命を大切にしてくださるのがイエスです。
失敗を責め、私たちを否定するお方ではなく、忍耐強い愛によって私たちを導いてくださるのがイエスです。
この世界の希望は、イエスにあるのです。



