牧師ブログ

「本当の奇跡」

【マルコによる福音書5:25-34】

25さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
26多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。
27イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
28「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
29すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
30イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
31そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
32しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
33女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
34イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

12年間の苦しみ

みなさんはこれまで、重い病気にかかったことはあるでしょうか?
私はこれまで、1回だけ入院したことがありますが、その時にかかった病気が結石でした。
1月1日の未明、急に腰のあたりが痛くなり、病院で検査をしてみると、尿管結石という病気であることがわかり、そのまま入院することになった。

入院すると、どうなるでしょうか?
急に人気者になります。
周りの人がみんな心配してくれます。

お正月でしたが、家族や友達が心配してくれて、病院にお見舞いに来てくれました。
入院していたのは5日間くらいでしたが、毎日いろんな人が来てくれたので、精神的にはそこまできつい感じはしませんでした。

このように、普通、重い病気にかかると、周りは心配して、自分のことをもっと気にかけてくれるようになりますが、今日分かち合う御言葉の中に出てくる女性の場合は違いました。
この女性は、出血が止まらない女性特有の病気にかかっていました。
12年もの間、出血が止まらずに苦しんでいました。

当時、ユダヤの律法によると、この病気にかかっている人は「汚れた人」とみなされました。
ユダヤでは、病気や障害などの身体に関わる問題と罪とを結びつけて考えられました。
身体に問題があるのは罪のせいだとされ、そういう人は、神から見捨てられた人だとみなされたのです。

そのため、この病気にかかると、周りの人は離れていくようになります。
この女性に触ると汚れてしまうので、みんな彼女のことを遠ざけるようになっていきました。

その一方で、彼女に近づいてくる人たちもいました。
それが、多くの医者たちです。
この女性は多くの医者にかかりましたが、当時は、今みたいに医師のライセンスが必要ない時代でした。

そのため、お金目当てに近づいてくるヤブ医者みたいな人たちがいたようです。
そういう人々が、彼女に近づいてくる目的はただ一つ、お金です。

しかし、彼女からお金がなくなれば、それ以上、彼女に近づく理由はありません。
結局、誰も彼女の病を癒すことができず、医者も、彼女から離れていきました。

このように、彼女は、病気のせいで、あらゆる人間関係を失っていきました。
治療に使えるお金もなくなり、財産も失ってしました。

彼女に残ったものは、いつ治るかよくわからない病気と、たくさんの傷です。
12年間、人々から変な目で見られたり、利用されたり、生きた心地のしない人生を送ってきたと思います。

彼女が体験した苦しみは、一言で言うと、孤独という苦しみではなかったでしょうか。
誰も自分のことを心配してくれない。
誰も自分の苦しみを理解してくれない。

私たちにとって、誰も自分に近づいてくる人がいない、誰からも必要とされないことほど、苦しいことはありません。

心の傷

しかし、ある時、彼女の人生を変える出来事が起こります。

彼女は病気の癒しを求めて、キリストに近づいていきました。
ただ、この時取った行動が普通ではありませんでした。
彼女は、群衆の中に紛れ込み、後ろからキリストに近づいて行きました。
そして、その服に触れました。

普通であれば、キリストの前に出ていき「私の病気を癒してください。私のことを助けてください」と言うと思いますが、彼女はそうはしませんでした。
もちろんこの時、大勢の人々がキリストの周りにいたため、そうできなかったのかもしれませんが、理由はそれだけではなかったと思います。

彼女は、正面切ってキリストに近づくことをためらった理由は、もうこれ以上、傷つきたくなかったからではないでしょうか。
これまで散々、人々に傷つけられてきた彼女が、大勢の人の前に出ることは、簡単ではなかったでしょう。
だから、誰からも気づかれないように、そうっと後ろから近づいて、キリストの服に触れたのではないでしょうか。

しかし、彼女がキリストの服に触れた後、すぐ出血が全く止まって、病気が癒されたことを体に感じました。
彼女が12年もの間、苦しまされてきた病気は、一瞬で癒されたのです。

普通のストーリーなら、ここで、ハッピーエンドで話が終わってもいいですが、この話にはまだ続きがあります。
なぜなら、本当の意味でまだ彼女は癒されていなかったからです。

彼女の病気が治ったからといって、病気にかかる前の生活に戻ることができるでしょうか?
この12年間、彼女は人間関係で、たくさんの傷を負ってきました。
確かに、体は癒されましたが、彼女の心の傷は、そう簡単に癒されるようなものではなかったはずです。

彼女の苦しみの原因は、病気によるものだったが、本当に彼女のことを苦しめたのは、周りの人々だったかもしれません。

キリストとの出会い

彼女がキリストの服に触れた時、キリストは自分の服を触ったのが誰なのか、探し始めました。
ただ、弟子たちも言っているように、その時にキリストの周りには大勢の人がいたため、少し服に触れてしまうくらいは、仕方がない状況でした。
それにもかかわらず、キリストは自分の服に触れた者を探し出そうとしたのです。

おそらくこの時、キリストは自分に触れたのが誰だったのか、分かっていたのではないでしょうか?
そうだとすれば、キリストはなぜ辺りを見回しているだけだったのでしょうか?

おそらく、キリストは彼女のことを待っていたのだと思います。
その女性が自分から前に出てくることを。
なぜなら、この12年間、彼女は、汚れた人として、長い間、人の目を避けながら生活してきたのです。

もし、イエス様が彼女を、無理やり前に引っ張り出していたら、どうなっていたでしょうか?
おそらく、恐怖心でその場から逃げ出してしまうと思います。
だからこそ、キリストは、彼女が自分から出てくるのを待っておられたのではないでしょうか。

そうすると、彼女は、震えながらも人々の前に出てきました。
そして、これまで自分に起こった全てのことを、すべてありのままにイエス様に話しました。

この12年間、彼女は、決して人前に出ることなんてできなかったでしょう。
ましてや、自分の身に起こったことすべてをありのままに話せるような人もいなかったと思います。

しかし、今、キリストの前に立って、自分のことをありのままに話しているのです。
初めは、後ろからキリストに近寄ることしかできませんでしたが、今は、正面からキリストに向かい合っているのです。

本来、彼女が、誰かに触ることは、律法に反することです。
汚れた身である自分が、他の人に触れたとすれば、その人も汚れてしまうからです。
それで彼女は、震えていたのだと思います。

しかし、彼女がすべてありのままを話した時、キリストはそのことについて一切触れることはありませんでした。
ただただ、彼女の話をありのままに聞いてくださいました。

彼女が出会ったキリストというのは、単に病気を癒してくれた奇跡の人ではありません。
彼女は人生において初めて、自分のありのままを聞いてくださり、受け入れてくださるお方に出会ったのです。

キリストはその女性に「もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」と言われました。キリストは、彼女がこのまま孤独のままに生きていくことを願われませんでした。

彼女の身に起こった奇跡は、単に病気が癒されたことではありません。
本当の奇跡は、彼女が自分の心を打ち明けて、自分のことを理解して、受け入れてくれる人に出会ったことではなかったでしょうか。

そのように、キリストは私たち一人一人に、真実に向き合ってくださるお方です。
私たちのことを理解して下さり、私たちのありのままを受け入れて下さる方です。
キリストは、私たちの体のことも、心のことも、人生そのものを大切に思って下さるお方なのです。