牧師ブログ

「その先にシャロームはあるのか?」

13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」15天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。21八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。(ルカによる福音書2:13-21)

平和の君、イエス

幼子イエスが誕生した日の夜、野宿をしながら夜通し羊の番をしていた羊飼いたちに、突然、天使が現れ、救い主が誕生したことを告げました。
さらにその時、天から多くの天使たちが加わって、神様を賛美して言いました。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」と。

この地に救い主が生まれたことは、神様には栄光となり、この地には平和となる出来事でした。
「地には平和」とあるように、旧約聖書の中で、救い主は平和を与える者として現れることが預言されていました。

5ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。(イザヤ書9:5-6)

イザヤは救い主について「平和の君」だと預言したように、平和を実現するために救い主を与えるというのが神様の約束でした。

平和という言葉は、旧約聖書が書かれたヘブル語では「シャローム」と言います。
一般的に平和という言葉からイメージするのは、戦争や争いがないということだと思いますが、聖書が言うシャロームには、もっと広い意味があります。
シャロームは「健康、安全、繁栄、幸福、救い」などの意味を含む言葉で「人間や社会が幸せである状態」がシャロームです。

このシャロームをこの地に実現するために、2000年前のユダヤに「平和の君」として生まれてきたのが、イエス・キリストでした。

ローマが打ち立てた平和(パクス・ロマーナ)

イエス・キリストが生まれた2000年前は、ローマ帝国が地中海世界を支配していました。
そこにはいわゆる「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と言われる平和がありました。
初代皇帝のアウグストゥスは、全ての戦争を終わらせて、世界に平和をもたらした人物として称賛され、人々は皇帝のことを救い主として信じ、崇拝しました。

しかし、ローマによって実現した平和は、シャロームとは全く異なるものでした。
クリスマスの物語を見ると、ローマ皇帝が全領土の住民に対して住民登録を命じたことで、マリアは妊娠中でありながら、砂漠地帯を長時間移動するという命の危険にさらされました。
住民登録の目的は人々からくまなく税金を徴収するためであり、貧しい人々は、さらに厳しい生活を強いられることになりました。

これはシャロームが意味する「人間や社会が幸せな状態にある」という平和とはほど遠いものです。
なぜなら「パクス・ロマーナ」というローマが実現した平和は「武力」によってもたらされた平和だからです。
権力や武力によってもたらされた平和は、本当の平和とは言えないのです。

今の世界を見ても、ローマのアウグストゥスのような支配者が、武力によって、世界を支配しようとしています。
この世界は、シャロームとは正反対の方向に進んでいるように見えます。
一体、この先にシャロームはあるのでしょうか?

変えられた人々

しかし、確かなことは、神様はこの地に本当の平和を打ち立てるために、イエス・キリストを遣わしたということです。

キリストの誕生について見たり、聞いたりした人々は、様々な反応を見せました。
特にここでは、羊飼いたちとマリアの反応について見てみましょう。

羊飼いたちは、天使から救い主が生まれるという話を聞いて、それを信じました。
そして、飼い葉桶の中に寝かされている幼子イエスを探し当て、この地に救い主が誕生したことを、人々に知らせました。
それから羊飼いたちは、神様をあがめ、賛美しながら、また自分の仕事場に戻っていきました。
救い主に出会った羊飼いたちは、神様を賛美する者へと変えられました。

また、目の前の幼子を見ながら、マリアは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らして」(19節)いました。
マリアは、自分のもとに天使が現れたこと、また、天使から救い主を生むと告げられたこと、そして、その救い主を聖霊によって身ごもることを思い巡らしていたのでしょう。

この時のマリアの心境はどうだったでしょう?
おそらく、マリアは自分の身に起こったことに驚きつつも、羊飼いたちと同じように、本当に天使から告げられた通りになったことについて、心の中では神様を賛美していたのではないでしょうか。
だからこそ、生まれてきた子供を天使から示された通りに「イエス」と名付けたのです。
羊飼いたちやマリアには、確かに約束の「シャローム」が与えられていました。

今、ここにあるシャローム

救い主に出会ったからと言って、羊飼いたちの生活が劇的に改善されたわけではありません。
羊飼いという仕事は、野宿しながら夜通し羊の番をしなければならない過酷な仕事です。
これからもまた、羊飼いとして続けて働くことには変わりありません。

また、マリアも、住民登録を終えれば、今度はまた来た道を幼子を抱えて戻らなければなりませんでした。
実際この後、ヘロデがエルサレムにい二歳以下の男の子を全員殺すようにという命令を出したため、マリアはエジプトに避難し、そこでしばらく難民として生活することになりました。

このように、羊飼いたちもマリアも、生活が改善したから神様を賛美したわけではありません。
目の前の状況は、前とあまり変わらなかったでしょう。
この先、自分の人生がどうなっていくのかという不安や心配を抱えていたことでしょう。

しかし、彼らには確かに、キリストによるシャロームが与えられていました。
それは、共にいて、働いてくださる神への信頼から来る平和でした。

不安定で不透明な世界にあって、私たちが告白できることは、すでにこの世界と私たちの人生には神様が共にいてくださり、導いてくださるということです。
今ここに、シャロームはすでに与えられているのです。