マリアの奇行
キリストがエルサレムに入る直前、ベタニアの村に立ち寄った時のことです。
この村には以前から懇意にしていた家族ーマリア、マルタ、ラザロという兄弟ーがいました。
キリストが死んだラザロを生き返らせたことで、多くのユダヤ人はイエスがメシアであると信じるようになりました。
それに反感を抱いた宗教指導者たちは、キリストに指名手配をかけていました
そんな状況下で、キリストはエルサレムのすぐ近くの村であるベタニアを訪れました。
キリストが村に来ると、人々は夕食を用意して、ラザロが復活したことへの感謝の宴会を開きました。
この宴会の最中に、マリアは突如、驚愕の行動に出たのです。
マリアは一リトラ分の香油をキリストに注ぎました。
香油というのは香水に似たもので、香り付けをする以外にも、皮膚を乾燥させるためであったり、埋葬される遺体に塗ったりするために用いられた香料です。
この時、マリアが注いだ香油は普通の香油ではなく、ナルドという植物から取れる非常に高価なもので、ナルドの香油一リトラは、値段に換算すると一人の男性の年収に相当する量でした。
これは多くの人々の目に、常軌を逸した行動に写りました。
マリアの行動によって、宴会の雰囲気は微妙なものに変わってしまったでしょう。
マリアの真意
なぜマリアはそのような行動を取ったのでしょうか?
マリアの行動にはどのような意味が込められていたのでしょうか?
マリアがしたことを見て、キリストの弟子の一人であるユダは「なぜそれを三百デナリオン(一人の男性の年収相当額)で売って、貧しい人々に施さなかったのか」とマリアを強く非難しました。
ナルドの香油というのは、普通の香油とは異なりかなり強い匂いがするので、もしマリアが香り付けをするためにそれを用いたかったのであれば、数滴垂らすだけで十分でした。
ユダが言ったように、貧しい人々に施していれば、たくさんの人々の助けとなったはずです。
しかし、この福音書を書いたヨハネ、そしてキリストは、反対にユダの発言に待ったをかけます。
キリストの言葉の中に、マリアの行動の真意が隠されています。
マリアは香り付けのために高価な香油を使ったのではなく、キリストの”葬りの日のために”惜しげもなく用いたのです。
つまり、マリアが注いだ香油は、キリストの死を備えるためのものだったのです。
キリストの死と向き合う
これまでキリストは弟子たちに対して、苦しみを受けて殺されることを何度か話したことがありましたが、彼らはそのことをなかなか理解することができませんでした。
弟子たちをはじめとして、当時のユダヤ人は、ユダヤを救うメシアであるイエスが殺されるなんてことは考えてもみなかったことでしょう。
それを表すように、弟子たちはエルサレムに向かう道中で「神の国では誰が偉いのか?」について話し合っていたように、彼らの関心は「自分が偉くなること」にありました。
だからこそ、ユダはマリアがしたことの意味や価値を考えることなく、ただ香油の価値だけでマリアを非難しました。
ヨハネが指摘しているように、ユダが心にかけていたのは貧しい人々のことでも、キリストのことでもなく、結局は自分のことでしかなかったのです。
そんな中で、マリアだけは、自分の命を捧げようとしておられるキリストのことを幾分か理解していたようです。
苦しみを受けるメシアであるイエス様と唯一、正面から向き合っていたのがマリアだったのです。
誰も十字架へと向かわれたキリストの思いを完全に理解することはできないでしょう。
しかし、理解はできなくても、全てはわからなくとも、キリストの死と正面から向き合うことはできるのです。
「キリストは何を思い十字架へと向かわれたのか?」
「キリストの死は何のためだったのか?」
このことに思いを馳せながら、受難週を過ごす者でありたいと願います。