二つの終わり
イエス様は十字架にかかる前、二つの終わりについて話されました。
一つは、エルサレムの終わりについてです。
イエス様は、エルサレムが軍隊に包囲され、滅亡することを預言しました。
実際に、それから40年後、エルサレムの神殿はローマ軍によって焼き払われ、エルサレムは破滅に至りました。
イエス様がエルサレムについて預言した終わりと言うのは、崩壊とか絶望という意味での終わりでした。
イエス様が語ったもう一つの終わりは、この世界の終わりについてです。
イエス様は、この世界が終わる時に生じるしるしについて語りました。
イエス様は、太陽や月、星といった天体が揺り動かされ、地上では海が荒れ狂うと言われました。
天体というのは、歴史上、この世の中でどんなことが起ころうとも、一切変わることなく存在し続けてきたものです。
この地球上の何ものにも影響を受けることなく、秩序を保ってきたのが天体です。
世界が終わる時、その前兆として、天体が揺り動かされてしまうというのです。
この世界は、エルサレムが滅亡という終わりを迎えるように、崩壊と絶望に向かっているのでしょうか?
新しくされる世界
イエス様はこの世界について、破滅ではなく、完成に向かっていると言っておられます。
天体が揺り動かされ、この世界が不安や恐怖で苛まれる時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲も乗って現れます。
人の子というのは、イエス様ご自身のことです。
2000年前にこの世に来られたイエス様は、再びこの世に現れると約束しておられます。
イエス様が再び来られる時、この世界に終わりが来ますが、世界は破滅して終わるのではありません。
イエス様はその時、この世界は「解放される」と言っておられます。
イエス様が再臨される時、この世界は罪や悪から解放され、神様の救い、神の国が完成するのです。
この世界も、そこに生きる私たちも、何もかもなくなって終わるのではなく、私たちの体が終わりの時に復活し、この世界が新しくされるというのです。
今をどう生きるか?
イエス様は世界の終わりについて語られましたが、そういうことを聞きながら、私たちが世界の終わりについて知ることにどんな意味があるのでしょうか?
別に世界がどう終わろうと知ったこっちゃないと思うかもしれません。
しかし、聖書が世界の終わりについて明らかにしているのは、単に、世界の終わり方を私たちに特別に教えてくれているということではありません。
世界の終わりを知ることは、私たちが今、この時をどう生きるのかということと密接につながっているのです。
もし、この世界が破滅という意味での終わりを迎えるとしたら、今をどのように生きようと思うでしょうか?
どうせ何もかもなくなるなら、好き勝手に生きればいいと思うかもしれません。
反対に、この世界が完成という意味での終わりに向かっていると考えるとしたらどうでしょうか?
私たちの今の営みが、イエス様の再臨によって新しく完成される世界に、何らかの形で持ち込まれるのです。
さらに言えば、目に見える現実が崩壊と絶望という意味での終わりを迎えることがあったとしても、それが本当の終わりではないということです。
世界の終わりについて正しく知ることによって、私たちは神様が完成される世界に希望を持って生きていくことができるのです。