牧師ブログ

「善い方はおひとりである」

16さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」17イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」18男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、19父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」20そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」21イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」22青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。23イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。24重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイによる福音書19:16-24)

永遠の命を得るためには?

ある一人の男がイエス様のもとを訪れて、こう尋ねました。
「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」
それに対してイエス様は、二つのことを答えました。
「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい」
「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」

永遠の命を求める男に対して、イエス様は旧約聖書の十戒を引用しながら「掟を守ること」と「貧しい人々に施すこと」の二つを求めました。
イエス様が求めたのは、二つの「行い」でした。
ただ、実際に何かの「行い」によって、永遠の命を得ることができるのでしょうか?
むしろ聖書は、行いではなく恵みによって救われる、命を得られると伝えています。

そうだとしたら、この場面で、イエス様が男に対して本当に伝えたかったことはなんだったのでしょうか?

善い方と共に

実は、イエス様が最初に応答した言葉に、イエス様の大切なメッセージが隠されています。
イエス様が男から「永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と問われた時、イエス様はこう答えています。
「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。」

善いことについて聞かれたイエス様は「善い方はおひとりである」と聞かれてもいないことを答えています。
男の関心はなすべき善い行いにありましたが、イエス様はただおひとりの善い方について話しているのです。
つまり、イエス様が本当に伝えたかったことは、男がなすべき善い行いではなく、善い方である神様という存在だったのではないでしょうか。

私たち人間は、何が善いことか、何がよくないことかを判断しながら行動することが求められています。
これは確かに必要なことではありますが、善悪に縛られた生き方はとても息苦しいものです。
それによって、自分や周りの人を評価し、傷付け合いが始まります。

神様が私たちに与えてくださる命、新しい人生とは、そういう善悪という基準から解放され、善い方である神様と共に生きていくことなのです。