現代の結婚の現状として、前回は「未婚率の上昇」と「晩婚化の進展」を取り上げましたが、それが一概に悪い現象だということではありません。
そもそも聖書は、結婚するかしないかを善悪で判断するような二元論的な見方を支持してはいません。
使徒パウロも、みんな自分のように一人でいてほしいけど、人によって生き方は違うよねと語っているように、人それぞれの生き方があります。
ここで言いたいことは、事実として、結婚のあり方が時代の流れとともに、確かに変化してきているということです。
結婚願望を持つ人は、時代と共に緩やかに減少していますが、今なお85%以上の人は「いずれ結婚するつもりだ」と答えているデータがあります。
多くの人が結婚を望んでいるにも関わらず、実際には結婚から遠ざかっているのはなぜでしょうか?
その要因として、大学進学率の上昇、女性の社会進出促進、少子化の影響など様々なことが挙げられますが、そこに「人生観の変化」が加わったことが強く影響していると私は考えています。
人生観の変化は当然、結婚観の変化をもたらします。
少し古いデータですが、以下のグラフは「結婚の是非」についてNHKが調査したものを、厚労省がまとめたものです。
時代が進むにつれて「人は結婚するのが当たり前だ」と考えている人が減り、「必ずしも結婚する必要はない」と考えている人が増えてきていることがわかります。
さらに、ここ10年でその傾向は進んでいるように思います。
また、内閣府の別の調査によると、若い人の方が「結婚は個人の自由だ」と考えている割合が高いという結果も出ています。
日本では結婚式を挙げるときに「〇〇家と〇〇家の結婚式」と表現されるように、個人同士ではなく「家」と「家」という両家が結びつくものとされています。
ところが最近は、家や親のためにという意識は薄まり、個人を中心にした結婚観に変化してきています。
現代の結婚に起こっている現象は「結婚の自由化」です。
「結婚して初めて一人前になる」とか「結婚するのが当たり前だ」というような社会的なプレッシャーは弱まり、今や結婚は、人生の選択肢の一つとして捉えられるようになりました。
結婚するかしないかについての自由度が高まってきているのです。
一昔前は、良くも悪くも「結婚するのが当たり前だ」という意識を持っている人が多かったと思います。
恋愛結婚よりもお見合い結婚で結び合う人が圧倒的に多かったように、結婚は、自分の意思によるものというよりも、家族や社会からの要求であり、自分の義務を果たすことでした。
つまり、昔の結婚は「自己否定」による産物だったと言えます。
ところが、ポスト・モダニズム時代に突入し、人々は自分が満足できるものを選び、個人の自由を実現することを尊重するようになりました。
「自己実現」を求める社会においては、よく知らない人と出会い、結婚するというお見合い結婚は敬遠されるようになり、恋愛結婚による出会いを求める人が一気に増えました。
結婚に「自己実現」を期待した結果、公的な制度だった結婚が自由化して、結婚が個人的な目的や欲求を満たすための手段になっていったのです。
(続く…)