孤独という痛み
私たちの人生の中で「これが起こったら本当に辛い」という出来事はなんでしょうか?
病気や死、人間関係の不和など、人それぞれ感じるところは違うと思いますが、個人的には「孤独になること」が最も辛いことではないかと感じています。
この社会では、孤独が原因で死を選んでしまう人たちもたくさんおられます。
孤独というのは、私たちの人生から生きる価値や希望を失わせる力があります。
12年もの間、女性特有の病である長血を患っていた一人の女性がいました。
イスラエルの律法によると、この病にかかっている人は「汚れた人」とみなされ、社会から隔絶されて生きていかなければなりませんでした。
それは家族であっても、親しい友人であっても、変わりはありませんでした。
それとは反対に、彼女に近づいてくる人たちがいました。
それは、医者たちです。
もちろん、中にはちゃんとした医者もいたかもしれませんが、医師免許などない時代にあって、ヤブ医者と思われるような人たちが、お金目当てに彼女に近づいていったのだと想像できます。
結局、そういう人たちも、彼女に払える治療費がなくなれば、それ以上関わる理由はなくなります。
彼女は、病気のゆえにあらゆる人間関係を失い、治療のために全財産を失ってしまいました。
彼女が経験した苦しみというのは、直接的には病が原因でしたが、それ以上に苦しかったのは、おそらく「孤独」がもたらした虚無感だったのではないでしょうか。
イエスとの出会い
そんな彼女の人生を変えたのは、イエス・キリストとの出会いでした。
イエス様なら自分の病を治してくれるかもしれないという期待を持って、彼女はイエス様のもとに駆けつけました。
人だかりをくぐり抜けて、彼女は後ろからイエス様の服に触れました。
服にでも触れれば、癒してもらえるかもしれないと思ったからです。
彼女がイエス様の服に触れた後、たちまち病気は癒されました。
12年もの間、散々悩まされ、苦しめられてきた病から開放されたのです。
普通の物語であれば、ここでハッピーエンドということで話が終わってもいいわけですが、この話には続きがあります。
なぜなら、彼女がイエス様に出会ったことには、単に病が癒されたこと以上の意味があったからです。
それこそ、彼女の身に起こった本当の奇跡だったのです。
身も心も
確かに、彼女の体からは長血という病は取り去られました。
だからと言って、彼女が12年前のように、元通りの生活を送ることができたでしょうか?
彼女の心には、周囲の人から受けた数多くの傷が残っていたはずです。
「自分のことを本当に理解してくれる人はいない」
「自分なんて誰からも必要とされない、価値のない人間なんだ」
こういう癒されがたい傷、思いがあったのではないでしょうか。
イエス様は彼女の病が癒されて、それで万事OKとは思っていませんでした。
イエス様は自分の服に触れたのが誰であるのかを、あたりを見回しながら探し始めたのです。
女性は恐る恐る、身を震わせながら、イエス様の前に出て行きました。
そして、自分の身に起こったことをありのままに話したのです。
本来であれば、汚れた人である彼女が誰かに触ることは律法違反であり、許されないことです。
しかし、イエス様が彼女に言われたことは「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」ということでした。
イエス様は律法に反して行動した彼女の罪を責めることなく、一人の人として受け入れてくださったのです。
病が癒されたことも神様による奇跡ですが、本当の奇跡は、彼女が自分の心を打ち明けて、自分のことを理解して、受け入れてくださるイエスというお方に出会ったことではなかったでしょうか。
イエス様は、単に病を癒してくださる奇跡の人ではありません。
私のありのままを受け入れてくださり、私たちが元気に暮らすことができるように助けてくださる方です。
イエス様は、私たちの心も体も、すべてを愛して導いて下さる愛の神様です。