聖書は、結婚の起源が神さまにあることを明確に教えています。
“結婚相手のこと”をよくわからずに結婚することよりも、“結婚のこと”をよくわからずに結婚することの方が、もっと致命的な問題です。
そのため、結婚を考えている人がまず取りかかるべきことは、聖書から結婚について知り、学ぶことだと言えます。
ということで、ここまでだいぶ前置きが長くなってしまいましたが…ここからは結婚について聖書が何を語っているのか、また具体的な結婚準備について考えていきたいと思います。
今回はエフェソの信徒への手紙から、結婚という神秘について見ていきます。
「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」 この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。(エフェソの信徒への手紙5:31-33)
人が父と母を離れて妻と結ばれ、二人が一体となる結婚について、パウロは「この神秘は偉大です」と語っています。
ここで神秘というのは、人の知識や経験ではなく、神の助けによって初めて理解できるような深い真理という意味です。
これまでも歴史上において「結婚ってなんなの?」という問いかけがなされてきましたが、人類はいまだに誰もが納得できるような答えを見出すことはできていません。
それでも昔は、親や社会的プレッシャーから結婚を選択する人が圧倒的多数でした。
しかし、あらゆる価値観を認めようとする現代では「別に結婚しなくても、好きな人と一緒に過ごせればそれでいいじゃん!」という考えから、結婚という制度にこだわらずに事実婚という選択をする人も世界的に増えてきています。
人類はさんざん結婚のことで悩まされ、結婚のことで喜びや悲しみを経験し、その人生を左右されてきました。
その理由は、結婚が単に社会を存続させる一制度ではなく、偉大な神秘だからです。
結婚というのは、とてつもなく深い真理なのです。
その深い真理である結婚について、パウロはキリストと教会(=神さまと人間)という関係に当てはめて理解しています。
また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。(エフェソの信徒への手紙5:24-25)
夫には、キリスト(神さま)が教会(人間)を愛したように、妻を愛することが命じられており、妻は教会(人間)がキリスト(神さま)に仕えるように、夫に仕えるようにと命じられています。
つまり、キリストと教会の関係とは、愛することと仕えることによって成り立つ関係です。
この人格的な関係のあり方について語っているのが、聖書です。
聖書は、正しく生きるための知識や情報を与えてくれるマニュアル本ではなく、人間が神さまと愛と信頼の関係に生きるように助け導いてくれる書物です。
このように、夫と妻の関係には、神さまと人間の関係が反映されています。
神さまと人間の関係 ≒ 夫と妻の関係ということです。
そのため、結婚について理解するためには、神さまが人間を愛しているという深い真理について知ることから始めなければなりません。
その際に、聖書から結婚に関する事柄だけを抽出するのではなく、聖書全体から神さまとの関係について学ぶことが大切です。
そして、ただ知識を蓄えるだけにとどまらずに、実際に、その神さまとの愛の関係に生きてみることです。
そういう意味で、聖書から神さまについて知ることとその神さまの愛に応答して生きることは、最大かつ最強の結婚準備と言えます。
結婚のことを考え出すと、どうしても自分と結婚相手のことばかりに心が傾きがちですが、夫婦関係というのは、神さまとの愛の関係の上にあって初めて、健全に長続きするものであることを聖書は教えているのです。
結婚準備のファーストステップは「今ある信仰生活に忠実であること」!
(続く…)