牧師ブログ

どうして人は結婚するの?(2)

出会った頃のアダムとエバの2人は、お互いに裸であっても恥ずかしくない関係でした。
しかしその後、もはや裸ではいられない事件が起きてしまいます。

この世界を創造した神様は、エデンの園に人を連れてきて、そこに住まわせました。
そして「園のすべての木から取って食べなさい」と言い、園にある全てのものを人に与えました。
ただし、善悪の知識の木からだけは、取って食べてはなりませんでした。

ところが、この約束はいとも簡単に破られてしまいます。
ある時、アダムが妻のエバから善悪の知識の木の実を差し出されると、その実を一緒に食べてしまったのです。

すると2人の目は開け、自分たちがお互いに裸であることを知りました。
そして、いちじくの葉をつづり合わせて、それで腰を覆ったのです。

それまでずっと裸であり、それが自然な姿であったにも関わらず、神様との約束を破ってしまった時、2人は裸であることを恥ずかしく感じるようになったのです。

この時、いったい2人に何が起こったのでしょうか?
この事件のすぐ後の出来事を見ると、アダムとエバは神様を避けて、園の木の間に隠れてしまいます。
神様の前で、裸でいることに恐れを感じるようになったからです。

また、アダムは善悪の知識の木の実を食べたことを、神様とエバのせいにし、エバも自分の責任を逃れる発言をしたのです。

結局、この事件が引き金となり、アダムとエバはエデンの園を追われることになってしまいます。

この事件が「人間の罪の始まり」だと言われますが、アダムとエバが取った言動は罪の影響によるもので、その後人間は、罪に支配されて生きていくようになっていきます。

もはや人間は、神様の前において、また人前では、裸でいることができなくなってしまったのです。
ありのままの自分の姿を誰かに晒すことが、恥ずかしくなってしまったからです。
こうして、罪の影響は本来あるべき正しい関係が破壊される「関係破壊」として、この世界に現れたのです。

したがって、いまだ罪の影響を受けている人間が「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」というアダムとエバの初めの姿を取り戻すことは、簡単なことではありません。

たとえ夫婦同士でも、お互いに相手の前で裸になり、自分のことを晒け出し、また相手のありのままの姿を受け入れることは、本当に難しいことです。
人間関係は、情熱や意気込みだけで、なんとかなる問題ではないのです。

だからこそ、聖書は私たちが本来の姿を取り戻すために、本当の救い主である「イエス・キリスト」を伝えているのです。