ある安息日に起こった出来事
今読んだところは、ある安息日の日に、イエスが癒しのわざを行った場面です。
イエスがユダヤ教徒のコミュニティである会堂で教えていた時、そこに18年もの間、病の霊に取り憑かれている女性がいました。
彼女は悪霊の働きによって、腰が曲がったまま動かせなくなっていたようです。
彼女を見るさまイエスは「病気は治った」と宣言しました。
そう言ってから彼女に手を置くと、女性はたちまち腰がまっすぐになり、たちまち病が癒されました。
18年間苦しめられてきた病が癒やされた女性は、神様を賛美し、喜びました。
しかし、この出来事を見ながら、腹を立てた人がいました。
それが会堂を管理するリーダーである、会堂長です。
普通、病が癒されたのであれば喜ぶべきだと思いますが、なぜ会堂長は怒ったのでしょうか?
それは、その日が安息日だったからです。
会堂長の言い分はこうです。
「働くべき日は六日あるのに、なぜ安息日にするのか」
会堂長はイエスが癒しのわざを行ったこと自体を否定していたわけではありません。
その日が安息日だったことを問題視したのです。
この言動の根拠となっているのが、ユダヤの律法です。
出エジプト記の20章に、神様がイスラエルの民に与えた十戒という教えがあります。
その4番目に出てくる教えが、安息日に関するものです。
そこで神様は「安息日にはいかなる仕事もしてはならない」と教えています。
この教えの根拠は、天地創造のわざにあります。
創世記1章には、神様がこの世界の創造を6日間のうちに行われたとあります。
6日目までに天体や海や陸地、そして人間を含めたあらゆる生き物を創造され、7日目になると神様は休まれました。
神様は6日間、たくさん働いて疲れたから、7日目に休まられたということではありません。
安息という言葉の意味は「休む」ではなく「ストップする」です。
神様は7日目に自らの働きをストップしたということです。
だから、十戒の中では人間も神様と同じように、七日目は何かを創造すること、仕事をすることをストップしなさいと教えているのです。
安息日に関する教え
イスラエルの民にとって「働いてはならない」という教えは衝撃的なことでした。
なぜなら、それまで長らく、イスラエルの民はエジプトで奴隷として生きていたからです。
奴隷として強制労働を強いられていた彼らが聞いていたことは「働いてはならない」ではなく「休んではならない」ということだったでしょう。
神様は、毎日「休むことなく働け」と言われていたイスラエルの民に「働いてはならない」と言われたのです。
神様はこの教えを通して、何を伝えたかったのでしょうか?
それは、イスラエルの民が「あなたたちは奴隷ではなく、神の民である」ということだったと思います。
ずっと奴隷として生きてきた民が、これからは「神の民、神の子供」として生きていくための教えが、安息日の教えでした。
この教えを通して、イスラエルの民は、人間が成し遂げていることが全てではないこと、また、人間のわざを一時ストップしても、常に働いておられる神様を信頼することを学んでいったのだと思います。
ただ、この安息日の教えに関して、一つの問題が生じました。
それは「何が仕事なのか」ということです。
それで、ユダヤ教の教師たちは、何を労働とするかを明確に定義する必要を迫られました。
その結果「メラホット」と言われる39の禁止労働事項が定められました。
このメラホットでは、直接的に「病を癒す」という行為が禁止されているわけではありませんが、間接的に関わっているということで、命の危険がある緊急な場合を除いて、安息日に医療行為をすることを律法違反だとみなすようになりました。
こういう背景の中で、会堂長はイエスがしたことに腹を立てたのです。
「なぜ安息日にするのか、明日やれば済む話じゃないか」と。
確かに、腰が曲がっているという病はすぐさま命に関わるわけではないので、次の日にやれば良かったかもしれません。
1日遅くなったからと言って、手遅れになる病ではありませんでした。
そう考えると、おそらくイエスはあえて安息日を意図的に選んだのだと考えることができます。
明日にしてもいいことを、あえて安息日にされたということです。
自らの痛みとして
なぜイエスはあえて安息日に波風が立つようなことをされたのでしょうか?
それは、律法の本質を教えるためだったのでしょう。
そもそも、律法というのは、それ自体を守ることが目的ではありません。
イエスは律法の中で何が重要かと聞かれた時「神を愛すること」と「隣人を愛すること」だと言われました。
ユダヤ人たちが何か仕事であるのかを定義したのは、神に従うためでした。
しかし皮肉なことに、結果として、彼らは神を愛し、隣人を愛することができなくなっていきました。
律法に縛られるようになり、律法の精神を無視して、文字ばかりを追いかけるようになってしまったのです。
そうやって律法に縛られ、文字に縛られるようになると、人間はどうなるでしょうか?
人間は自分を含めて、人間を大切にしなくなっていきます。
会堂長の言動を見ると、会堂長の関心は人には向けられていなかったことがわかります。
病に苦しんできた女性が負っている苦しみや痛みは、彼にとって、自分の苦しみではありませんでした。
会堂長にとっては、律法の文字に従うことが、すなわち神様に従うことだったからです。
しかし、イエスの関心は、ただ目の前の一人に向けられていました。
当時のユダヤでは、病や障害は罪と結びつけて考えられていたので、その女性のように何か重い病を負っていたり、障害を持っていたりする人が公の場所に出てくることは簡単なことではなかったと思います。
しかも、男性優位のユダヤ社会の中で、女性がそうすることは尚更のことでした。
そういう中で、彼女は安息日に会堂を訪れたのです。
これはとても勇気のいることだったと思います。
イエスは彼女のそういう心も理解してくださったと思います。
イエスは目の前の一人を大切に思ってくださるお方です。
負っている苦しみや痛みを、ご自身の痛みとして感じてくださるお方です。
あらゆるものから解放されるために
イエスは彼女に対して「病気は治った」と言われましたが、この言葉は「解放された」という意味の言葉です。
18節では、イエスが「十八年もの間サタンに縛られていた」と言っているように、この女性が負っていたのは単なる体の病気ではなく、悪霊による束縛でした。
イエスは働きの中で、悪霊によって縛られている人々を解放してくださる御業を数多く行いました。
罪に縛られ、罪の奴隷として生きている人々に、神様の子供として生きる自由を与えてくださいました。
そのように、神様は私たちが何かに縛られていることを喜ばれません。
悪霊や罪に縛られたり、文字に縛られたり、何かに縛られて生きていくところには自由も幸せもないからです。
私たちは今こうやって日曜日に集まって礼拝をしているが、皆さんは自由の中にいるでしょうか?
日曜日に縛られていることはないでしょうか?
クリスチャンがこうやって日曜日に集まって礼拝を捧げるようになったのは、ユダヤ教の安息日の教えが起源となっています。
初代教会の信徒たちは、安息日である土曜日に会堂に集まり、ユダヤ教の礼拝を守りつつ、日曜日の朝に、イエス様の復活を記念する集まりを別に持っていたようです。
この日曜の集まりは、4世紀のローマで日曜日が公式な休息日となり、キリスト教がローマの制度と融合していく中で、クリスチャンのスタイルとして定着していきました。
そういう意味で、日曜礼拝というのは、キリスト教の伝統です。
この習慣について、律法のように守り行うべきことだと考える人もいるかもしれません。
ただ、聖書を見る限り、それを必ず日曜日にしなければならないということは言われていません。
共に集まることや7日目に休むということの意義は、聖書から見出すことはできますが、クリスチャンの信仰は日曜日に対する信仰ではない、というところは勘違いしてはならないところでしょう。
もし、日曜日を信仰の対象のように考えると、どうなるでしょうか?
それが律法となり、日曜日が自分を縛り付けてくるようになります。
当然、日曜日に縛られる生活は自由ではありません。
どんなことでもそうですが、主体性がない状態で何かをし続けると、不満が募り、やがてそれは自分の中で心の傷になっていきます。
礼拝は「捧げる」という動作ですが、私たちが神様に何か捧げるものはありません。
なぜなら、すでにイエスがすべてのものを捧げてくださったからです。
そもそも日曜日に集まるのは、何かを捧げるという意味合いよりも、共にいるというところにその意義があるのだと思います。
神様は私たち一人一人の命と人生そのものを大切に思ってくださる方です。
そうだとすれば、本当に大切なことは、私たちがお互いの命と人生に関心を持ち、共に支え合っていくことではないでしょうか。
そのために神様が与えてくださった共同体が、この教会なのです。



