牧師ブログ

「イエス、大炎上」

【マルコによる福音書3:20-30】

20イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
21身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。
22エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。
23そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。
24国が内輪で争えば、その国は成り立たない。
25家が内輪で争えば、その家は成り立たない。
26同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
27また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
28はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
29しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」
30イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

炎上の発端

情報網の発達や価値観の変化によって、今や有名人に限らず、誰でも炎上する時代になりました。
2000年前のユダヤにおいて、炎上騒ぎを起こした人がいます。
それが、イエスキリストです。

誹謗中傷を浴び、ユダヤ社会で大炎上しました。
連日、ユダヤのトップニュースとして注目されたでしょうし、社会問題となりました。

当時のユダヤ人の目に、キリストはどのように映っていたのでしょうか?
21節に「あの男は気が変になっている」、30節に「彼は汚れた霊に取りつかれている」というイエス評があります。

キリストの身内も「うちのイエスがおかしくなっちゃった」と思って、取り押さえにくるくらいでした。

その一方で、キリストを支持する人々もいました。
キリストが行くところ行くところ、人々が押し寄せ、人だかりができました。
そのことがまた、炎上を加速させたでしょう

ユダヤ人がそこまでキリストを危険視した理由は何だったでしょうか?
1つは、キリストがユダヤの律法を軽んじるようなことをしていたことです。
例えば、キリストの弟子たちは安息日に麦の穂を取って食べていたり、キリストは安息日に手が麻痺している人を癒したりしていました。
そういう行為は、安息日にはしてはならない行為として定められていました。

また、もう1つ、ユダヤの人々の目におかしく映っていたことがあります。
それは、キリストのところに集まってくる人々です。
その時、キリストの周りに集まってきたのは、主に病人や障がい者、徴税人、罪人、悪霊に取りつかれている人たちでした。

当時のユダヤ社会において、彼らはやばい人たちでした。
病気や障がいは、罪の結果だと考えられていました。
律法を守らないから、罪があるから、そういう目に遭うんだと。
そうやって神様に逆らう人々は、ユダヤ社会から毛嫌いされていました。

赦されない罪がある?

キリストの噂が広まったことで、律法学者と言われるユダヤの宗教指導者たちも、キリストの様子を伺いに来るようになりました。
律法学者たちは、キリストがやっていることを見て、悪霊に取りつかれていると考えました。

キリストが悪霊を追い払っているところを見て、あれは悪霊の力でやっているんだと。
そうか、悪霊が働いているから、安息日の律法も守らないのだ、悪霊の力によってやばい人たちが集まってくるのだと。
こいつはユダヤの伝統を破壊するやばい奴だ、早く手を打たないと大変なことになる。

このように、ユダヤ社会の中で、キリストは大炎上していました。

それでは、当のキリストは、律法学者たちの話をどのように聞いていたのでしょうか。
キリストは、自分は悪霊によって働いているのではないと、彼らの話を明確に否定しました。

どうして悪霊の力で悪霊を追い出すことができるのか、悪霊が悪霊と争ってどうするのか、それは内輪揉めではないか、それでは国が成り立たない、家が成り立たない、と。

そして、最後に驚くようなことを言われたのです。

「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」(28-29節)

キリストは、人々が犯す罪やどんな言葉もすべて赦されるが、永遠に赦されることがない罪があると言ったのです。

すべて赦されると言う一方で、赦されない罪があるとも語りました。
これはどういうことでしょうか?
どちらが本当なのでしょうか?

私たちが聖書から知っている話は「すべての罪は赦される」ということです。
過去、現在、未来、すべての罪をキリストは背負い、十字架で死んでくださった、と。
だから、どんな悪い人でも、どんなにやばい罪でも、神様は赦してくださるということをクリスチャンは信じています。

それにもかかわらず、キリストは赦されない罪があると言われたのです。
キリストが言われた赦されない罪とはどんな罪でしょうか?
それは、聖霊を冒涜する罪です。

あなたたちは赦されている

当時、キリストがしていた宣教の働きは、どのようなものだったでしょうか?
キリストは病人や罪人、徴税人たちにどんなことを語っていたでしょうか?
それは「すべての罪は赦される」ということです。

マルコによる福音書の2章を見ると、イエス様が中風という病気にかかった人を癒す話が書かれています。
キリストは自分のところに連れて来られた病人に対して「あなたの罪は赦される」と宣言しました。

しかし、これは当時のユダヤの価値観とは真逆のものでした。
病気になるのは罪のせいであり、赦されていない罪があるから、病気になるのだ。
つまり、病気や障がいがあるのは神に見捨てられている証拠であり、お前たちは神に呪われているんだ、と。

このように、ユダヤでは罪が赦されることと神様に受け入れられることがつながっていました。
罪がある限り、神には受け入れられない、と。

しかし、キリストははっきりと「あなたの罪は赦される」と語ったのです。
「あなたたちは赦されている。神様から見捨てられているわけではない。神様に受け入れられているんだ」と。

命のメッセージ

このことから、聖霊を冒涜する罪が何かということを考えてみたいと思います。

人々はキリストのことを「気がおかしくなっている」とか「悪霊に取り憑かれている」と攻撃しましたが、キリストは自分が攻撃されていることに怒ったわけではありません。
キリストは、人々が聖霊を冒涜していることを問題だと感じていたのです。

つまり、聖霊を冒涜する罪とは、すべての罪は赦されるということを否定することだと言えます。
言い換えれば、神様の愛を拒否することです。

キリストはすべての人は神様に愛され、受け入れられていることを伝えるために、この世に来られました。
しかし、ユダヤでは神様に受け入れられない人がいる、神に見捨てられ、呪われている人がいるという考えがありました。

ユダヤ人にとって、律法を守っていない人々が「自分は神様に赦されている」と思うことは、受け入れられないことだったのです。
徴税人や罪人たちが「自分たちは赦された」と言って、会堂に集まってくることは、認められないことでした。

このように、赦しの神様、愛の神様を否定することが、聖霊を冒涜する罪です。
確かに、ユダヤ人が考えていたように、自分で自分の罪を赦すことはできません。
神様によって赦されなければ、誰も赦されることはないからです。
そのように、赦しの神様を否定するのであれば、永遠に罪の責めを負うしかありません。

この発言で、キリストはもっと炎上したと思います。
そして、十字架の死に至るまで炎上人生を歩んで行きました。

どれだけ攻撃されても、誹謗中傷を受けたとしても、神様の愛と赦しを伝え続けました。
それは、すでに私たちを受け入れてくださっている神様、どんな罪も赦してくださる神様を伝えるためでした。
これが、キリストが命をかけて伝えてくださったメッセージなのです。