牧師ブログ

「僕は死にまぁすっ!」

【ヨハネによる福音書10:11-18】

11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。
18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

ブラックなお仕事

皆さんには「この人のためなら死んでもいい」と言える人は誰かいるでしょうか?
夫のために、妻のために、子供のために、死ぬ覚悟はできているでしょうか?

私には、妻と2人の子供がいますが「妻のためなら死ねます!」
と言いたいところですが、実際には、その時になってみないとなんともわかりません。

それとは、反対に「僕は死にません!」と言った人がいます。
「101回目のプロポーズ」というドラマを知っているでしょうか?
今から30年前くらいの恋愛ドラマで、主演は、武田鉄矢と浅野温子の2人です。
このドラマの名シーンと言えば、最終回のラストシーンです。

武田鉄矢と浅野温子の2人が一緒に夜道を歩いている時に、突然、武田鉄矢が車道に飛び出すます。
トラックが来ていて、轢かれそうになりますが、ギリギリのところで止まって、トラックが去って行った後、武田鉄矢が浅野温子の方を向いてこう言いました。

「僕は死にません!僕は死にません!あなたが好きだから、僕は死にません!僕が、幸せにしますからぁ!」

武田鉄矢は「あなたが好きだから、僕は死にません」と言いました。
それとは反対に「僕は死にまぁすっ!」と言った人がいます。
それは、イエス・キリストです。

キリストは「わたしは良い羊飼いであり、羊のために命を捨てる」と言われました。
「命を捨てる」ということは「僕は死にます!」ということです。

ここでキリストは、ご自分のことを羊飼いに例えています。
当時のユダヤで、羊飼いとはどんな職業だったでしょうか?

ルカによる福音書2章に、キリストの誕生シーンが書かれていますが、生まれたばかりのキリストに出会ったのが、羊飼いたちでした。
そこを見ると、羊飼いという仕事がかなりきつい仕事だったことがわかります。

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」(ルカ2:8)

まず、羊飼いたちは羊のために野宿をしながら生活していました。
羊飼いは羊を襲う獣から守るために、いつも羊の近くで見張っていなければならなかったためです。

また、羊飼いたちは、夜通し羊の群れの番をしていました。
昼間よりも、むしろ夜の方が羊は襲われる可能性が高かったので、羊飼いにとって夜勤は当たり前でした。

羊飼いというと、今の時代はおしゃれというか、悪いイメージはないと思いますが、当時のユダヤでは羊飼いは貧しい人がやる仕事で、人々から嫌われていた職業でした。

そのため、本来羊飼いという言葉に「良い」という言葉をつけて「良い羊飼い」ということ自体が、ちょっと変なことではあります。
しかし、キリストはご自分のことを「私は良い羊飼いである」と言われたのです。

良い羊飼い

それでは、キリストはどのように良い羊飼いであるのでしょうか?
羊飼いというのは、それぞれの羊に名前をつけて、お世話をしていたそうです。

私は高校生の時に、修学旅行でニュージーランドに行きました。
その時に羊の群れをたくさん見ましたが、どの羊を見ても顔も形もだいたい同じなので、私たちには違いはよくわかりませんでした。

しかし、羊飼いたちは、羊一頭一頭を見分けることができるそう。
羊飼いは、羊の名前も知っているし、どんな性格であるかも知っています。

「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」(14節)

キリストは「わたしは自分の羊を知っている」と言われました。
キリストも羊飼いのように、羊である私たち1人1人の名前や性格をよく知っておられます。

ただ、「わたしは自分の羊を知っている」という言葉は、単に1頭1頭のデータをすべて頭に入れているということではありません。

キリストが良い羊飼いである最大の理由は、羊との関わりにあります。
先ほどの14節を見ると「わたしは自分の羊を知っており」の後に「羊もわたしを知っている」と書かれています。

羊飼いと羊の関係について、キリストは15節では「父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである」と言っておられます。

父なる神様とイエスとの関係というのは、父なる神様が一方的にイエスのことを知っていることではありません。
父なる神様が上で、イエスが下という上下関係でもありません。

父なる神様は、キリストのことをよく知っていますが、キリストもまた父なる神様のことをよく知っておられます。
これが、父と子の関係でした。

これと同じように、キリストは私たちのことをよく知っておられますが、羊である私たちもキリストのことを知ることができるのです。

キリストと私たちの関係は上下関係や支配関係ではありません。
父なる神様がキリストと愛と信頼によって結ばれているように、私たちもキリストとそのような関係にあるのです。

全てを知った上で

人間関係というのは、相手のことを知れば知るほど、もっと親しくなるということもありますが、その反面、相手のことを知れば知るほど、その人と距離を置きたくなることもあります。

相手のいい部分もそうでない部分もいろんなことを知った上で、その人を受け入れることは私たちにとって、とても難しいことです。

しかし、キリストはそうではありません。
キリストは、私たち一人一人のことをよく知っておられます。
私たちの弱さや罪などもよく知った上で、私たちを愛し、受け入れてくださいます。

キリストは私たちが良い羊だから、私たちのために命を捨ててくださるわけではありません。
もしキリストが「私は良い羊のために命を捨てる」と言ったとしたら、私たちはどうなるでしょうか?

良い羊になろうと努力するでしょう。
羊飼いに気に入られ、認められるために、頑張ります。
それがまさに、私たちが生きている社会です。

良い成績を取れば、良い会社に入れば、いろんなことができるようになれば、と努力をします。
努力すること自体はとても素晴らしいことですが、こういう動機で始まった努力は、ちょっといびつ関係を築いていきやすいです。

私たちとキリストの関係は、努力や頑張りによって、築かれるものではありません。
キリストはすでに、私たちのことをよく知った上で、私たちのために十字架で命を捨ててくださいました。

良い羊飼いは羊をコントロールするのでもなく、羊を自分の利益のために利用するのでもありません。
羊のために自分の命をかけて羊を守り、導いてくださるのが、イエス・キリストなのです。