北イスラエル滅亡のわけ
イスラエル王国分裂後、先に崩壊を迎えたのは、北イスラエル王国でした。
その最後の王であるホシェアは、北の大国のアッシリアに逆らい、南の大国のエジプトについたことがきっかけとなり、北イスラエルはアッシリアから占領されるに至りました。
こうして、北イスラエルは200年の歴史に終止符を打ち、滅亡しました。
神の国である北イスラエルは、なぜ滅亡に至ったのでしょうか?
北イスラエルは「主に対して罪を犯し」たため、滅亡を迎えました。
この罪というのは、7節の終わりに「他の神々を畏れ敬い」とあるように、偶像に仕えたことにありました。
特に北イスラエルが熱心に仕えた偶像が、バアルです。
北イスラエル最後の王であるホシェアが、エジプトに寝返ったことも、偶像崇拝という罪の一つです。
北イスラエルで預言者として活動したホセアは、ホシェア王がエジプトと同盟を結んだことについて「愚かで、悟りがない」と言っています。
ホシェアがアッシリアの支配から脱するために、エジプトに救いを求めたということは、この時、ホシェアの中でエジプトが偶像になっていたということです。
しかし、実際にはホシェアの期待は裏切られ、エジプトは北イスラエルを救ってくれはしませんでした。
それどころか、そもそも戦うことさえしなかったのです。
アッシリアやエジプトを頼ろうとする姿にこそ、北イスラエルの偶像崇拝の罪が見え隠れしています。
イスラエルを救うのは誰か?
ホシェア率いる北イスラエルは、本当に自分たちを救ってくれるのが誰であるのかを知らなければなりませんでした。
この列王記を書いた記者は、イスラエルの神について、こう言っています。
そうです、イスラエルの神というのは、かつてエジプトの奴隷として苦しんでいた時、エジプトの地から導き上り、ファラオの支配から解放してくださった主なる神さまです。
このお方がイスラエルを救う主であることが、イスラエルの民に鮮明に示された出来事が「葦の海の奇跡」です。
神様はモーセを通して、海を真っ二つに割り、追ってくれるエジプト軍から逃れるようにしてくださいました。
神様は「私こそがあなたたちの神であり、あなたたちを救う主である」ことを見せてくださったのです。
しかし、時代が進むにつれて、イスラエルの中で出エジプトという大いなる救いの御業が語られなくなっていきました。
それで、バアルという偶像や、アッシリアやエジプトという大国、こういうものに救いを求めるようになっていき、イスラエルは破滅へと向かっていったのです。
お前を見捨てることができようか
ここで一つ疑問が浮かんでくるが、それは、なぜイスラエルの民をエジプトから救われた神は、アッシリアからは救ってくれなかったのかということです。
北イスラエルの滅亡は、神様がこの民を見捨てたということを意味するのでしょうか?
そうではありません。
おそらく、国が滅亡するという苦難の道を通ることが、偶像崇拝を終わらせる唯一の道であったからこそ、神様は北イスラエルの滅亡を許されたのではなかったでしょうか。
預言者ホセアも、偶像崇拝から離れないイスラエルを愛し続けるという神様の心を明らかにしています。
8節の終わりに「憐れみに胸を焼かれる」とあるように、神様は怒りを感じながらも、怒りによって胸が焼かれるのではなく、憐れみによって胸を焼かれるお方です。
つまり、確かに神様は、北イスラエルが滅亡することを許されたが、このことは神様に見捨てられて起こったことではありません。
最悪なこと、ありえないことが起こったとしても、神様は私たちのことを愛し続けてくださるお方です。
それが、キリストの救いによって、今の私たちに約束されていることです。
昔のイスラエルと今の私たちとで決定的に異なるところは、私たちはすでにキリストによる救いに与っているということです。
もはや私たちの罪は、すべてキリストが十字架の上で負ってくださいました。
だとすれば、私たちがどんなに大きな罪や失敗を犯したとしても、神様が私たちに罪の罰を与えたり、見捨てるということはあり得ません。
神様は私たちのすべてを赦して、私たちのすべてを受け入れてくださっているのです。