牧師ブログ

「悲劇の中におられる神」

イスラエル分裂の引き金

ソロモンの時代、イスラエルは爆発的な経済成長を遂げ、先進国となった。
しかし、その裏には民の苦しみがあった。
公共事業のために、多くの民が苛酷な労働に駆り出され、重い税負担を強いられていた。
そこは、富裕層と貧困層が真っ二つに分けられた格差社会だったのである。

ソロモンの関心はとにかく、イスラエルを世界的な大国にすることにあった。
ソロモンには神様から、豊かな知恵と富という祝福が与えられていたが、ソロモンの堕落は祝福の中にいる時に、すでに始まっていたのである。

ソロモン王の後の正当な後継者は、ソロモンの息子であるレハブアムという人物であった。
しかしそこに、もともとソロモンに仕える家来であったヤロブアムという人物が現れた。
ヤロブアムはイスラエルの民と共に、苛酷な労働と重税を軽くしてくれるようにとレハブアムに頼んだ。
そうすれば、私はあなたに仕えますと。

しかし、レハブアムはこれまでよりもっと重い労働と税金を国民に課す決断を下した。
このレハブアムの決定により、イスラエルの分裂は避けられないものとなった。

ソロモンとレハブアム、この親子によって、イスラエルは堕落の一途を辿っていくこととなった。

イスラエル分裂に見る罪と問題

イスラエルの王として、ソロモンとレハブアムに決定的に欠けていたものは何だったか?
それは「僕」の意識である。

実はレハブアムは、重労働と重税を軽くしてほしいと頼まれた時、一応、周囲に相談をしていた。
ソロモンに仕えていた長老たちは、民の要求を認めるべきたと助言したが、レハブアムに仕える若者たちは、むしろもっと大きな負担を与えるべきだと助言した。

結局、レハブアムは、長老たちの勧めを捨てて、若者たちの意見に同調したのだが、長老たちは「あなたが今日この民の僕となり」と言いながら、レハブアムを説得しようとした。
長老たちは王が民に仕える「僕」であることをよく知っていたが、当のレハブアム本人は、絶対に僕なんかにはなりたくなかったのである。

僕でははなく、絶対権力者として国を支配しようとしたところに、ソロモンとレハブアムの問題を見ることができる。

国であれ、家庭であれ、組織の大きさに関わらず、組織の分裂というのは大概が内部から起こる。
組織やグループは、外からの攻撃にはめっぽう強いのだが、内側から問題が出てくると、それが原因で崩壊していくパターンが多い。
イスラエルの場合も、そのようにして、南北分裂の道へと進んでいったのである。

悲劇の中にあった神の計らい

ソロモンとレハブアムという指導者の罪、内部の問題によってイスラエルは南北に分裂することになったが、実は、聖書はその中に「神の計らい」があったのだと伝えている。
もちろん、イスラエルの分裂は、神様が積極的に引き起こしたことではなく、あくまでも分裂の原因は、人間の側(特にソロモンとレハブアム)の罪にあるのだが、神様は分裂しないように止めたのではなく、それを許したのである。

そもそも神様は、この世界を祝福し、神の国として一つに回復させるために、イスラエルという民族を選んだ。
そのため、この世界の祝福の源であるはずのイスラエルが分裂することは、神様の計画を頓挫させるようなことである。

それにも関わらず、なぜ神様はイスラエルが分裂することを許したのだろうか?

「こうしてわたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、いつまでもというわけではない。」列王記上11:39

神様はイスラエルの分裂を通して、ダビデ、レハブアムと続く系図(=分裂後の南ユダ王国)を苦しめるが、それはいつまでもというわけではないと言っている。
これはつまり、イスラエルは分裂という悲劇によって、多くの苦しみと悲しみが国中を襲うが、いつか回復の時が来るということである。

このことから、一つの真理を見出すことができる。
それは、悲劇的な出来事の中にも、神様は共におられるということである。
そこに神様がおられるのであれば、苦しみは苦しみで終わらないのであり、悲劇は悲劇で終わらない。
神様は人間の思いを超えた深い計画の中で、この世界とそこにいる私たち一人一人の人生を導いておられる。