牧師ブログ

どうして人は結婚するの?(13)

『婚姻届というたった一枚の紙切れの意味』

時代とともに、男女関係のあり方が変わりつつあります。
近年よく見られるのは「事実婚」という形です。

特に欧米でその傾向は強いようで、それは婚外子(=婚姻関係にない男女から生まれた子供)の割合によく表されています。
日本で生まれる婚外子はわずか2%程度に過ぎませんが、アメリカやイギリス、フランスなどでは、その数は約半数に達しています。
その中には、父親が誰なのかわからない子供も含まれていると思いますが、両親が同居しつつも法的には夫婦ではない男女を親に持つ子供もたくさんいるはずです。

婚姻届は出したくない、法的に縛られたくない、でもお互いのことが好きだし一緒に住みたいし子供も欲しい、こういう男女が増えてきているのが結婚の現状です。

では、なぜそのような選択をする人が増えてきたのでしょうか?
「婚姻届?たった一枚の紙切れに何の意味があるの?」「別に結婚しようとまで思わないけど一緒に暮らしたい」

このように、法的に婚姻関係になることを避ける一番の理由は、まだ自分に自由を残しておきたいからです。
相手との関係を事実婚で留めておこうとする心理には、
「もし何か別れるに値する悲劇が起こったら、いつでも別れられる可能性を残しておきたい」という隠された思いがあるのです。

つまりそれは…
「あなたへの愛は、まだ結婚するほどじゃないよ。」
「私の全てをあなたに与えるほど、あなたを愛しているわけじゃないよ。」
ということなのです。

しかし、聖書で語られている愛とは、選択の自由を残しておくという曖昧な関係ではありません。
両者の契約約束に基づくものです。

よく結婚式の中で、司式する牧師が誓約の時に
「健やかな時も、病める時も、、、」
と新郎新婦に聞くますが、これはどんなことが起こったとしても、助け合い、支え合う約束の誓いです。

この時、今現在どれだけ相手のことを愛しているのかを聞かれているのではありません。
この先、相手のために自分の自由を諦めるつもりがあるのか、本当に自分のすべてを相手に与えるつもりがあるのか、その覚悟を問われているのです。

役所に行って婚姻届を出すということは、めんどくさい手続きなんかではなく、両者が相手への献身を約束する聖なる行為なのです。

婚姻届を「たかが紙切れ一枚」と侮るなかれ! 
両者を約束の愛に生かす聖なる紙切れである!