「こんなこといいな できたらいいな あんな夢こんな夢 いっぱいあるけど
みんなみんなみんな 叶えてくれる 不思議なポッケで叶えてくれる」
これは日本が世界に誇るアニメ、ドラえもんの主題歌の歌詞から一部を抜粋したものです。
子供の頃はTVの前で何の疑いもなく歌っていたことを思い出しますが、改めてこの歌詞に見入ってみると、人の心底にある欲望を表している内容であることに気付かされます。
日本ではお正月になると、多くの人々が初詣に出かけます。
信仰心がなかったとしても日本文化の一つとして神社やお寺に行き、それぞれ心にあることをお祈りします。
そこでは手を合わせて自分の願いを祈るだけではなく、お賽銭も共に捧げられます。
最近は、小切手に金額を記して、それを賽銭箱に入れる人たちがいるそうです。
なんで現金を投じるのではなく、わざわざ小切手を使うのでしょうか?
それは、小切手に捧げる金額を記しますが、その数字で縁起のよい語呂合わせをするためだそうです。
たとえば、29,451円と小切手に書いてお賽銭として捧げます。
これは「福よ来い(29-4-51)」を意味します。
また、11,104円は「いい年(1-1-10-4)」を表します。
このように小切手に目に見える数字という形で確実に残すことによって、福を手繰り寄せようとしているのです。
冒頭で引用した「ドラえもん」の主題歌には、このように福を求める私たちの欲望が表されています。
ドラえもんの主題歌は「いろんな夢や願いがあるけど、それをドラえもんは全部叶えてくれるんだ!」というドラえもんを崇拝する危うい歌だったのです…!
しかも、ただ福を求めるだけではなく「何でも自分の願いが叶えられさえすれば、私は幸せになれるのに!」という自分の願いを基準として生きようとする歪んだ人生観を与えかねないものです。
誰しも一度は、ドラえもんみたいな人が、自分の側にいてくれたらいいなと思ったことがあると思います。
私も昔はそのように思ったことがありますが、それは「自分の願いが叶うこと」が、私の幸せにつながると堅く信じているからです。
でも、本当に自分の願いが叶えられれば、いつも幸せが舞い降りてくるのでしょうか?
自分の願いが叶えられなくても、幸せを感じながら生きている人はいっぱいいるはずです。
逆に、自分の願いが叶えられていたとしても、幸せを感じられない場合もあるでしょう。
学問の神様とされている菅原道真が祀られている神社に行き「合格祈願」をした学生が、第一志望の学校に入学できたとしても、学校生活に馴染むことができずに退学してしまうケースもあります。
良縁祈願が実り、白馬の王子様だと思って結婚した相手が、実際に一緒に生活してみると自分の理想の人ではなく、最終的に別れを選ぶということも十分起こり得ます。
このように「心願成就」と「幸せ」は必ずしも結びつくものではないのです。
(続く…)