飼い葉桶に寝かされたイエスから見えてくるのは、抗えない国家権力という力と誰も自分のことを理解してくれないという苦しみです。
最近、私の家庭では二度目の出産を経験しました。
今年の夏の金沢に引っ越してきまして、ほとんど見ず知らずの街ではありましたが、無事に出産を終えることができました。
たまたま一番近くの総合病院ということで選んだのが「聖霊病院」でした。
名前が示しているとおりに、キリスト教系(カトリック)の病院です。
二年前に建て替えられたばかりということもあり、とても綺麗な施設です。
分娩時の助産師さんの数も多く、産後もとても手厚くケアしてくれます。
さらにびっくりしたのは、出産から退院するまでに一度、妊婦の家族にディナーのおもてなしがあることです。
前菜からデザートまで、フレンチのコース料理のような豪華なお食事をいただくこともできました。
ぜひ金沢で出産される際には、金沢聖霊総合病院をオススメしたいと思います。
私は決して病院の回し者ではなく、何が言いたいのかというと、それぐらい万全の環境と体制が整っていたということです。
今回の私のことに限らず、出産というのは、それほどまでの慎重さと配慮が求められることのです。
それと比べると、マリアが初めての出産を迎える時というのは、妊婦には絶対に与えてはいけない過酷さの中にありました。
おそらく出産を無事に終えた後のマリアは、子供と対面した喜びよりも、極度の緊張状態から解放された安堵感と疲労感でいっぱいだったのではないでしょうか。
しかし、クリスマスの物語がすべての人々にとって喜びとなるわけは、その中心にイエスキリストがいるからです。
(続く…)