牧師ブログ

違いが分かる大人になりたい

先月、アメリカのミネソタ州で、黒人男性が警察官に首を押さえ続けられた末に亡くなる事件がありました。
それを発端にして、人種差別に対する批判がデモという形で、世界各地に広がっています。

また、日本では、木村花というプロレスラーがネットでの誹謗中傷が原因で、22歳という若さで命を絶った事件が、大きなニュースとして報じられ、この問題は国会でも取り上げられました。

このふたつの事件は、同じ問題を抱えています。
人種差別も誹謗中傷も、どちらも人間という存在に対する誤った見方、すなわち「偏見」から始まった問題です。

肌の色(白人と黒人)、性別(男女)、見た目(イケメンと野獣)、知的・身体的能力(エリートと非エリート)、身体(健常者と障がい者)など…人と人を見比べてみれば、その間にはあらゆる「違い」が存在しています。

残念なことに、わたしたちはそういう違いを「格差」(価値の違い)として捉えてしまう思考を持っています。
「白人と黒人だったら白人の方が偉い」「イケメンと野獣だったらイケメンの方が偉い」というように、何かと「優劣」をつけて認識したがるのです。

人は誰でも「自分が必要とされる存在でありたい」「価値ある存在でいたい」という思いを持っています。
この思いが人との違いに出会うことで、それが優越感と劣等感を生み出し、ひいては、自分や相手の存在自体を否定するところへと行き着きます。

また、誹謗中傷という問題も、起こった問題自体を批判するのでなく、問題を起こした人の「存在自体」を否定するという点において、人種差別のメカニズムと似ています。

それでは、聖書は「人」という存在をどのように捉えているでしょうか?
神さまは、すべての人を神さまに似せて「神のかたち」に造られました。
アダムとエバが罪を犯した後も、人間から「神のかたち」が失われることはありませんでした。
そして、2000年前にイエスキリストがこの世に来られたのは、すべての人を神さまの愛によって生きるようにするためです。
さらには、聖霊の働きにより、人は神さまと同じ姿へと変えられていくのです。

つまり、人はどのような違いを持っていたとしても、その価値自体に違いはない(=格差はない)ということです。
この真理を知らないと、容易に違いを格差に結びつけて、人を優劣で判断するようになってしまいます。

ダバダ〜 ダ〜バ ダバダ〜 ダバダ〜
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